週刊「儲け創り」通信 〜創刊52号 2004年8月1日 発信人 株式会社 船井総合研究所 第三経営支援本部 チーフ 経営コンサルタント(儲け創り人)望月 隆之 この週刊「儲け創り」通信は、船井総合研究所の望月隆之が、経営者、ならびに経営幹部の皆様に、【高い顧客価値&満足(の創造)⇒高い粗利益(の創造)⇒高い社員価値&満足(の創造)】⇒高い企業価値&満足(の創造)⇒高い投資家価値&満足(の創造)という「善循環」をまわし続けるためのヒント・コツ・秘訣・勘所・ポイント・要点をお伝えしていくものです。
今週の「儲け創り」のヒント 家業から企業へと進化する際の 業務改革の必要性とそのすすめ方 社員数が50名を超えて、 細かいところまで社長の目が行き届かなくなった際の 企業経営における注意点 個人に業務を属させる属人から、業務に個人を属させる属組織へ 擬似身体感覚を持って組織運営に臨む 企業の発展には、「生業から、家業、そして企業」へと3つの段階があります。生業とは、まさしく「なりわい」であり、個人が自らの生活費を稼ぐために業務を行う段階です。その後、社員数が、7名くらいから49名くらいまでの発展段階を家業と位置付けることが出来ます。まだまだ、創業経営者の目の行き届く範囲です。ところが、その後、50名を超えるようになりますと、物理的に、どうしても細かいところまで目が行き届かなくなり始めます。内部的にチグハグなことがおき始め、そのチグハグは、やがて、外部にも影響を与え始めます。内部だけの混乱ならまだしも、その内部の混乱が、外部関係者や、最も大切な顧客にまで広がってしまう場合があります。これまでうまくやってきた「やり方」がうまく機能しなくなってきているのです。企業規模の大きさにふさわしい「やり方」が求められているのです。限りない発展、進化を続けていく中で、必然的に起こるこの混乱は、創業時の「産みの苦しみ」とは、別の種類の「産みの苦しみ」と言えましょう。まさに「企業」となるための「産みの苦しみ」です。それまではうまくいってきた「個人に業務を属させる属人というやり方」は、社員数が50名を超えた段階から、「業務のダブりとモレ」という非効率を産み出し始めます。個人が、個人的な責任感だけで業務を進めていくので、個人の能力によるバラツキが生まれたりするので、人の生産性を中心に、極めて悪い状態になり始めます。 50人を超える個人が、それぞれの業務に対する考え方と能力で、バラバラに対応しているからです。全体の最適を考えて個人が業務を行う状況を創り出さなくてはなりません。その際には、まず、@現在の業務のすべてを明確化(=文書化)すること。A現場の積み上げで全社業務の最適化を図ると、全体最適とはならないので、限られた経営幹部が話し合って、全体最適をキーワードにして、「全社の業務の流れと個別の業務の内容」を明確(=文書)化」させる。B「全社の業務流れと個別の業務の内容」を骨格にして、組織体制を創る。C創られた組織体制に、個人を当てはめていく。まず、全社最適な業務の流れとその内容があり、その中に個人を当てはめていくこと。はじめに業務ありき、次に個人。D明確な業務の役割に個人を当てはめていくことで、「業務のダブりとモレ」は防げる。Eその際に、当然のことながら、社員個人が個別に持つ「気づき力」を否定するモノではない。与えられた役割以上の力を見せることが期待されるのは、当然のことである。肝心要は、個人優先ではなく、組織優先、役割優先であるということ。さらに、その上で、社員個人が個別に持つ「気づき力」が求められるのは、申し上げるまでもないこと。まずは、役割を明確にすることだが、それと同時に、役割以上の業務を行う個人を賞賛する風土であることが大切なのは、申し上げるまでもないこと。野球だって、サードの担当は、まず、サードの守備を、きちんとこなすことが求められる。そのためには、サードに求められる守備範囲という役割をきちんと決めることが大切になる。サードは、まず、自分の守備範囲、役割をきちんとこなせるようになって、まず一人前。そのうえで、常に自分の守備範囲い、役割以上の業務をこなす姿勢を持って試合に臨み、出来ればファインプレーにも積極的に挑戦したい。基本の徹底とその延長線上にあるファインプレー。どんな球にも飛びつく姿勢がなければ、ファインプレーは生まれないが、ライトにあがったフライをサードが取りにいく組織が、果たして強い組織といえるでしょうか?自分の守備範囲が明確でなかったり、守備範囲が明確でないということは、当然、自分の守備範囲の業務に関してエラーをしても、本人は気づかない。そんな組織が強い組織といえるでしょうか?チーム一丸となって一つの球に向かう意識や姿勢が大切であることと、それぞれの役割を明確にして、まずは、その役割・業務範囲をきちんこなすという組織体制は、決して矛盾しません。いや、むしろ、強い組織こそ、その両立が出来ているといえましょう。まずは、それぞれの役割・業務範囲を明確にして、その役割・業務範囲をきちんとこなすことが出来るようになるという基本の徹底と、全社一丸という意識や姿勢の徹底の両立が、それぞれの業務範囲を超えたファインプレーの連続を産み出すことになります。 上記のように業務改革をすすめていくことが、家業を企業に進化させることになります。その過程の中で、まず、業務の内容を決めるという抽象度の高い業務についてこれなくなる人間が、場合によっては、数多く出てきます。個人に業務を当てはめる属人という具体度の高い業務のすすめ方でしか業務を行えないレベルの人間が数多くいるのも現実です。経営者の取るべき選択は、ふたつのうちどちらかしかありません。ひとつには、ほとんど期待は出来ないが、現在の社員の成長を待つことを基本にする。その場合、企業の成長はかなり遅れます。具体しか理解できない人財に、抽象を理解できるようにするには、想像を越えた「テマ(人間)ヒマ(時間)」がかかります。もうひとつは、ある程度の戦線離脱は覚悟して、抽象度の高い仕事のすすめ方を理解し、実践できる人財、例えば、大企業経験者を中心に採用を進め、成長のスピードは緩めない。真面目だが、優秀ではない人間が辞めていくのはやむをえないと考える。真面目でさえない人間は論外だが、真面目で、優秀である人間だけを幹部にする。現実的には、この両極の選択の間に、取るべき道があると思われますが、いずれにしても、経営者の考え次第ということになります。 生業から家業へ、そして、企業へという発展段階は、経営者の能力が、反映したものだともいえます。このことを、車に例えてみます。車体の小さな軽自動車(=生業)の運転の際には、その車体が自分の身体であるかのごとく擬似身体感覚を持つことは、比較的容易でしょう。次に普通自動車(=家業)になりますが、これくらいの車体の大きさであれば、まだ、比較的多くの人が擬似身体感覚を持てると思います。そのうえで、マイクロバス(=企業)くらいになってくると、少し、難しい人が出てくるでしょう。そのうえの大型バス(=大企業)ではいかがでしょう。ほとんどの人には、難しいことでしょう。車体の大きさが、企業規模だと考えると、企業規模と経営者の能力の高さが、アンバランスな時が、企業経営にとっては、非常に危険な時といえるでしょう。また、そもそも、大型バスを運転することを想定してなかった経営者が、図らずも運転しなくてはならなくなった場合なども、非常に危険なケースでしょう。目先は、何とかなったとしても、内部には、崩壊の兆しがあちこちに出ている場合が、このケースといえましょう。何せ、軽自動車しか運転するつもりのなかった経営者が、大型バスを運転しているようなケースもあります。大型バスを運転しているのに、運転者は、軽自動車を運転していると思っているという非常に恐ろしい場合もあります。擬似身体感覚は、軽自動車レベルですから、見る人が見れば、車体のあちこちは、傷だらけといった状態でしょうか?この擬似身体感覚のことを別の言葉で言えば、経営者の器というのでしょう。器は大きくすることも出来ますが、大きくするという情熱や志があってはじめて、大きくなるのであって、なんとなく大きくなるということはありません。器というと難しいかもしれませんが、自動車を運転する時の擬似身体感覚、運転している車があたかも自分の身体のように感じることができるという感覚のことだと考えれば、理解しやすいのではないでしょうか?はたして、会社の隅々まで、擬似身体感覚を持って見ることが出来ているでしょうか?手は手の動きをしていますか?足なのに手のまねをしていませんか?目で聞こうとしたり、耳で見ようとしたり、鼻で味わおうとしていないでしょうか? |