週刊「儲け創り」通信

〜創刊68号 2004年11月28日〜

発信人 株式会社 船井総合研究所 第三経営支援本部 

チーフ 経営コンサルタント(儲け創り人)望月 隆之

この週刊「儲け創り」通信は、船井総合研究所の望月隆之が、経営者、ならびに経営幹部の皆様に、【高い顧客価値&満足(の創造)⇒高い粗利益(の創造)⇒高い社員価値&満足(の創造)】⇒高い企業価値&満足(の創造)⇒高い投資家価値&満足(の創造)という「善循環」をまわし続けるためのヒント・コツ・秘訣・勘所・ポイント・要点・本質をお伝えしていくものです。 


今週の「儲け創り」のヒント

 

「マニュアル(=形式知)教育のススメ」

自社の社員として求める最低限の業務レベルに、

比較的早く到達させる手段・道具のひとつとしての

マニュアル(=形式知)教育の可能性、そしてその限界

 

マニュアル(=形式知)は、一人前未満の社員に対して、

最低限の業務レベルに、比較的早く、

到達させる・教育するための手段・道具としては、

今のところ、最も優れている。

もちろん、一人前以上の社員に対しての教育の手段・道具としては、

不十分であるが。(その場合は、OJTによる暗黙知の共有化が基本。)

 

万能なものなど、この世に存在しないのに、

なぜ、マニュアルだけが万能ではないという理由だけで、

「マニュアル的対応」などのように、軽視されなければいけないのか?

 

日本人のマニュアル(=形式知)嫌いが、

日本人のホワイトカラー、営業の労働生産性を低くする

 

日本の企業の売上高販管比率の平均が24%であるのに対して、アメリカのそれは、15%であるという話をお伺いする機会がありました。その中でも、特に人件費、その中でも、特にホワイトカラー、その中でも、特に営業の労働生産性の低さが際立っているとのことです。原因は、営業の非論理的な業務遂行による「ムダ、ムリ、ムラ」の多さにあるということです。このお話をお伺いして、経営現場コンサルタントの望月が考えたことは、例えば、まだ、一人前に達していない社員に対して、論理的に(≒マニュアル(形式知)で)仕事を進めるという仕事のすすめ方の基本レベルが徹底されていない(そもそもマニュアルがないとか、あっても使いにくいから使わないなど)にも関わらず、その上のレベルの超論理的に(≒暗黙知で)仕事を進めるという仕事のすすめ方の応用レベルを求める企業側の姿勢が、結果的には、一人前未満の社員に対して、「力不相応」な要求となり、低い労働生産性を招いているのではないでしょうか?ということです。もちろん、この他にも、いろいろと、例えば、労働生産性に対する意識が低くても、生きて行ける組織的な仕組みの問題などが上げられますが・・・

 

 

 

 この問題の解決策のひとつには、上記のように、社員のレベルに応じた教育を行ったり、業務のすすめ方をすれば、「力相応」こそ高効率ですから、「ムダ、ムラ、ムリ」なく高い労働生産性を上げられるということがあげられます。

それでは、なぜ、このような不合理なことが、日本の多くの企業の現場で行われているのでしょうか?原因のひとつに、基本的に、日本人は、マニュアル(=形式知)が嫌いであるということが上げられます。アメリカ人は、その逆で、マニュアルに代表される形式知が好きなようです。日本は、アメリカとの比較において、多民族でもなければ、多言語でもなく、多宗教でもないなど、比較的、価値観が均一な国家です。ですから、日本では、「阿吽の呼吸」などというコミュニケーションが成立してきたし、それを好むところがあります。(アメリカは、その意味において日本の状況と逆ですから、形式知がないとコミュニケーションが取れないということですね。)そのような前提がありますから、マニュアルのような形式知=言語化できる知恵は、どこか、当たり前のこととか、知っていて当然のように思われ、疎まれたりしています。もちろん、暗黙知=言語化しにくい、できない知恵のほうが、問題解決の手法としては、価値が高く、形式知=マニュアルレベルから、暗黙知=超マニュアルレベルになることを目指すべきですが、まずは、マニュアル(=形式知)レベルを目指すべきです。その上で、暗黙知=超マニュアルが加われば、まさに、「鬼に金棒」状態になるわけですが、ゼロスタートの社員にいきなり、「こんなことは、いちいち口で説明しなくてもわかるだろ!」とか、「常識で考えろ!」とかの教育しか出来ない、しないから成果を上げられるまでに時間がかかり、結果として労働生産性が上がらないのではないでしょうか?常識は、以前の日本では、たしかに、比較的均一だったと思います。だから、上記のような乱暴な教育(?)でも成立したのでしょうが、今の日本では、成立しません。常識は、100人いれば、100通りです。少し、大げさかもしれませんが、少なくとも、そのように考えたほうが、コミュニケーション上の様々な問題の解決が早くなります。常識という便利な共通の土台は、ほとんどないものという前提でコミュニケーションを図らなくては、今、我々の前にあるコミュニケーション上の問題は解決できないからです。そういう日本人の実態があるからこそ、言語化したマニュアル(=形式知)が、かつて以上に必要であり、有効なのです。もちろん、「マニュアル人間」とか、「マニュアル的な対応」というように、言語化したマニュアルには、基本的には、業務上期待される業務レベルの中で、最低限のレベルのことしか書ききれないものです(実は、それ以上のマニュアルを創ることが望ましいのですが・・・)。ですから、大切なのは、マニュアルは、期待される業務レベルの中で、最低限のことしかかれていないが、まずは、そこにかかれている基本的なことを確実にこなせるように教育すべきということです。また、それと同時に、そのマニュアルをマスターした上の暗黙知レベルがあることをきちんと教えておくことも大切です。一人前未満の社員に対しては、マニュアルをマスターすれば、一人前の社員だが、さらにその上があるということを教えた上で、まず、目先の目標として、マニュアルのマスターを目指させるというプロセスが社員教育のポイントになります。マニュアルをマスターしたからといって「プロレベル」ではないということを教えた上でマニュアルを教えれば、「マニュアル的対応」で事足れりとするケースを、ある程度、防止できます。

 また、マニュアルを、例えば、「料理のレシピ」や、「音楽の楽譜」のように考えることも出来ます。プロの料理人が作った「料理のレシピ」であっても、素人が料理すれば、それなりの味にしかなりません。プロの作曲家が作った「音楽の楽譜」であっても、素人が演奏すれば、それなりの音しか出ません。それでも、素人が「料理のレシピ」なく創った料理よりも、数倍うまく、それこそ、最低限の料理にはなっているはずです。「音楽の楽譜」も同じです。「業務のマニュアル」もそれ以上でもなければ、それ以下でもありません。素人が、「料理のレシピ」通りに作っても、決してプロの味と全く同じ味にはなりませんが、だからといって、「料理のレシピ」が必要ないというのは合理的ではないでしょう。「音楽の楽譜」も同様です。同じ「音楽の楽譜」を使っても、プロの演奏と素人の演奏は明らかに違います。確かに、プロは、楽譜に縛られることなく、楽譜を超えた演奏をしてくれます。しかし、素人は、同じようにはいきません。だからといって、「音楽の楽譜」は意味がないという人はいません。「業務のマニュアル」も同じです。使う人のレベルに応じて、結果としての業務レベルは、確かに違いますが、だからといって「業務のマニュアル」がなければ、一人前未満の社員の業務のレベルは、もっとひどいものになっているでしょう。ですから、まずは、基本としてのマニュアルレベル、その上で、応用としての超マニュアルレベルを目指すように、社員に対する教育を行いたいものです。ホワイトカラーの業務マニュアルのない企業は、すぐにでも作成すべきです。まずは、そこからです。そこから、労働生産性の向上が始まります。



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