慶応年間のある大雪の夜、塩沢宗閑翁は雪の中で行き倒れている旅の老人を救った。
その後、旅の老人は塩沢家の食客となっていたが、3年後に塩沢家を去るとき「海山の厚きご恩に報いたく思えども、さすらいの身の悲しさ。されど、自分はいわれある者にて薬酒の製法を心得ている。これを伝授せん。幸いにもこの地は天産の原料も多く、気候風土も適しているから・・・」とその製法を伝授して去った。
薬酒の製法を伝授された塩沢宗閑翁は「世の人々の健康長寿に尽くそう」と願い、手飼いの牛に跨って深山霊谷をめぐり、薬草を採取して薬酒を造りはじめることにした。
塩沢宗閑翁は慶長7年 (1602年)に、これを「養命酒」と名付けた。
翌年に江戸幕府ができた時には、徳川家康に養命酒を献上。その後、江戸幕府から「天下御免万病養命酒」と免許され、その象徴としての目印に「飛龍」を使用する事を許された。
以来、この飛龍は養命酒の目印、つまり商標として今日まで使われており、日本における最も古い商標のひとつになったと云われている。養命酒は信州伊那の谷・大草(現在の長野県上伊那郡中川村大草)で、塩沢家当主・塩沢宗閑翁によって創製された。
塩沢家では養命酒を近くに住む躰の弱い人や、貧しい人達に分け与えていた。医術が充分に行き渡っていなかった山村のため、たいへん重宝がられていたという。ことに重病の人がでると「せめて養命酒を飲ませてあげたい」と云われるほど貴ばれた。
その評判が高まるにつれて養命酒の名と効用は伊那谷の外にも知れ渡り、5里も10里も山越えをして求めに来る人が多くなったという。
「信濃風土記」には、忠臣蔵で名高い赤穂四十七士の一人、矢田五郎右衛門の祖母が信州伊那の生まれだったことから、浪士達が江戸潜伏中に養命酒を取り寄せて、一同が鋭気を養った事が記されている。
天明5年(1785年)につくられた長唄「春昔由縁英」の一節にも養命酒が唄いこまれており、養命酒の名は古くから、広く知られていたことが判る。
養命酒を創製した塩沢家に残る古文書には文化 10年(1813年)に、当時の尾張藩主が養命
酒の製法や内容について訊ねたという史実が残されている。この古文書には養命酒はできあがるまでに 2300日も要することや、製法は一子相伝の秘法であることなどが記されて
いるという。企業のなかには幾多の荒波を乗り越え、長い歴史を刻みながら一族で暖簾を守ってきた老舗企業が多くある。江戸時代以前に創業した企業は、約2100社が現存していると云われており、その多くは同族経営で中堅規模の企業のようである。
老舗企業設立年表によると、現存する国内最古の企業は、大阪・天王寺市に在る飛鳥時代(589年)に創業した寺社建築の「金剛組」である。仏教が伝来したのが 538年と云われて
おり、その50年後に宮大工を組織した企業として誕生している。
養老2年(718年)には石川県・小松市にある温泉旅館「法師」が創業しており、世界最古のホテルとしてギネスブックにも掲載されている。
1400年以上も前から営々と続く老舗企業は、和菓子・酒造・呉服・旅館などが多く、1590
年に創業した住友金属工業は、現在上場している製造業では最古の企業である。
江戸時代になってからは1611年創業の松坂屋、1673年の三越などの百貨店を始め、製薬・銀行・商社・建設などの多くの上場企業が創業している。
さて、こうした企業が歴史を重ねることができた秘訣を調べてみた。まず、頑なに守った伝統は「顧客優先・品質重視・本業重視の堅実経営・技術技法の伝承・社員の育成・家訓や商いの教えを徹底」が貫かれている。次ぎに時代に応じて変化させたのは「顧客サービス・販売方法・時代の先取り・家訓などの解釈を時代に合わせる・新規事業育成」などである。
老舗企業は顧客優先と品質重視を両輪に、時代の流れに合わせて革新を続けてきた企業郡と云えよう。重要なのは老舗企業と云えども果敢に変貌を遂げていることである。
和菓子・虎屋は鎌倉時代 1241年からの歴史が明らかになっているが、京都で創業したのは奈良時代の 793年だったとの説もある。今では、現代の東京を象徴している六本木ヒルズに「TORAYA CAFE」を出店し、羊羹ではなく抹茶ムースやカステラなどの、創作菓子を用いたカフェによって多くの女性ファンから受け入れられている。養命酒は創製されてから 400年以上が経っている。大正 12年(1923年)に養命酒酒造と
して法人設立された。「信州で300年以上も飲まれ続け、たくさんのひとたちから喜ばれている養命酒の効用を、全国の一人でも多くの人に届けたい」との思いから、塩沢家が家業として代々受け継いできた薬酒造りを、企業として引き継いでからも80年が過ぎた。
現在では、国内はもとより海外にも輸出されている。国内で製造される薬酒類のなかでは90%のシェアを持っており、世界の中でも最も飲まれている薬酒である。
前述のように、塩沢宗閑翁の「世の人々の健康長寿に尽くしたい」との思いと、400年もの歴史は顧客第一主義や品質重視の思想に基づいており、一子相伝の製造技法も伝承されてきた。1982年には「家醸本みりん」を発売し、昨今のミネラルウォーターのブームにも
2002年発売の「ナチュラルミネラルフォーターいらさ」で応えており、伝統を守ると共に時代のニーズに対応する新しい価値と魅力を創造し続けている。
2006年3月期の決算を見ると、売上高136億円と規模は中堅クラスであるが、税引き前純利益11億円(売上高比8%)と堅実な経営である。資産内容も総資産421億円に対し、自己資本が338億円もあり、自己資本比率80%を誇る超優良企業である。
伝統を重んじる老舗企業の象徴的な経営手法を、決算数字からも読みとることができる。
ひと昔まえには、企業経営者は「経営学」を学べと云われた。そして30年前、日本にコンビニエンスストアという新業態を持ち込んで大成功した経営者は「心理学」を学べと云った。しかし、和菓子・虎屋や養命酒酒造を始め、企業経営を数百年もの長きに渡り継続している老舗企業郡を見ていると、歴代経営者の「経営哲学」の尊さを思い知らされる。
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