高級ホテルや旅館専門のインターネット予約サイト「一休・ドット・コム」は2000年5
月に創業して、わずか 6年の歳月しか経っていない。 06年 3月末には会員数が前年比 30
万人増となり110万人を超えた。ネットの予約サイトが数あるなかで、一休の快進撃は群を抜いている。3月期には23名の社員数(6月1日現在で27名)で、売上高は前年比50.8%増の18億7100万円を達成し、営業利益は同63.2%増の11億8500万円である。
一休のサイトに名を連ねるのは、「帝国ホテル」「センチュリーハイアット東京」「ホテルオークラ東京」など、一流ホテルや高級旅館がズラリと並ぶ。3月末時点で一休に登録している宿泊施設数は 828施設となっている。顧客層は登録会員の 25%が、年収 1000万円以上の高所得者層となっており、平均的な顧客単価も 2万 2000円となっている。一般的な
ビジネスホテルの利用客より高額で、結果として顧客層の絞込みにも成功している。
インターネットを基盤に事業展開している企業のなかでも、最近の一休は勝ち組企業として認知されている。昨年 8月には順調な事業拡大も軌道に乗り、東京マザーズ市場に株式
公開を果たした。株価収益率は約64倍と投資家からの成長期待は大きいものがある。
森 正文社長はネット戦国時代にオークションで天下を取ろうと旗を揚げ、数人の仲間達と創業したが、ネットの世界ではヤフーや楽天などが大激戦を繰り広げていた。森はこの世界で勝ち残るのは一社だけで、何かに特化しないと生きて行けない事を直感していた。一休は高級施設を斡旋しているとはいえ、普通の人にちょっと贅沢な旅を楽しんでもらうことが狙いだ。高額所得者や話題になっているヒルズ族のような顧客ばかりではない。
高級ホテルの宿泊料金が割安になれば、利用者も増えてホテルの稼働率も向上する仕掛けである。ホテル側には空き室の宿泊料金を、定価よりも安く提供してもらうが、仲介手数料は大手旅行会社の半額程度である8%と安く設定している。
鮮度が命の寿司店でも、ネタによっては冷蔵庫に保管すれば、翌日に売れるものもある。しかしホテルや旅館は、その日に部屋を売り切らなければ一円の売上にもならない。時間との勝負に負けると、すべてが無駄になってしまう究極の生鮮商品である。
ホテル側に空き室が有る場合の当日予約では、料金のダンピング幅を大きくすることで、集客率が上がり空き室が減る。新規顧客の獲得にもつながり、リピーターも期待できる。
インターネットの特徴である広範な瞬時性を、十分に活用したビジネスである。
きっかけは偶然であった。ネットオークションのビジネスを立ち上げたが苦戦続きだった。
森社長が夜の新宿を歩きながら、なにげなしに部屋の明かりがまばらなホテルを見上げていた。アメリカ企業へ出向していたときに、ホテルを手配すると需給の関係で、室料が株価のように変動していた事を思い出した。「部屋もオークションの対象にならないか?」と“ひらめき”が脳裏に走った。さっそく自ら新宿の高級ホテルに飛び込み営業をして歩く毎日となった。そのなかでセンチュリーハイアット東京から、スイートルームの出品依頼を受けた。通常 15万円のスイートルームを、最低価格 1万円でネットオークションに出品してもらうことに成功した。森社長は 1962年生まれの現在 44才である。上智大学法学部を卒業し、日本生命保険に入社した。米投資顧問会社であるリーマン・ブラザーズへの出向経験もあり、帰国後は会社の中枢を担う財務企画室に在籍するなど、エリートとして順風満帆のサラリーマン生活を送っていた。
“好事魔多し”の喩えの如く 30才の時に、C型肝炎に感染してしまった。一ヶ月の入院
生活の後、会社の医務室でインターフェロンの注射を打ちながら勤務した。森社長は「これから何をなすべきか」と悩みながら、闘病生活を送っていたという。会社勤めは安定していて給料もたくさん貰えるが、一人で頑張っても会社が大きく変わるわけではない。病気が治ったら、自分一人で会社を創ることを決意した。
36才で起業してコンサルティング会社を名乗ってはみたものの、実際は何を業とするかも決めていなかった。毎月の固定費の支払で資金はどんどん減り、何日で会社が倒産するかを計算するような毎日だった。電話もかかってこない事務所で、暇にまかせてアメリカの新規上場企業の資料に目を通していた。日本に馴染みのないビジネスを探したところ、インターネットのオークション運営が目についた。
現況打開のきっかけを掴んだ森社長は、日本生命の友人などを頼って 4000万円の資金を
かき集めた。森社長は 99年の夏、オークションに出品して貰う商品集めに、企業や商店
街を走り回っていた。そんな時、夜の新宿の街角で脳裏に“ひらめき”が走ったのだった。世の中には“ひらめき”や“思いつき”で起業する人が案外多いものである。これを実業として開花させるには、人一倍の努力と本人の能力である。そして、それ以上に企業家として求められるのが、人間として価値観を共有する先輩や同僚、そして部下を持つことができる誠実で謙虚な人柄である。
病魔に折れかかった時にも森社長を支えたのが、職場の同僚や部下達だった。大学3年の時に肝臓ガンで他界した父も「人」という財産を残していってくれた。
独立起業して会社の業容が成り立たない時期には、学生時代にアルバイトをして知遇を得ていた東洋水産の創業者が、何も言わずに500万円を出資してくれた。
00年 5月に「一休・ドット・コム」を開設したときには、登録宿泊施設数は 5軒しかなかった。全国を飛び回り一年後には180余の契約を取った。そんな頃、ホテルだけでなく高級旅館にも営業を広げていった。神奈川県湯河原町の老舗旅館の女将は「断ったら、この人路頭に迷うのではないか」と思ったという。真夏に汗だくで営業に歩き廻る森社長の必死の形相を見て契約してくれた。
株式公開のときにも「社会的な公器に成りたい」との思いだったが、多くの人達が反対した。セブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊名誉会長もその一人だった。イトーヨーカ堂を創業した伊藤雅俊名誉会長は、独自の経営路線を歩く森社長に興味をもち、さまざまな助言を贈っている。森社長の経営手法に大きな影響を与えているようである。
06年 6月に一休は高級レストランの予約代行事業「一休・ドット・コム レストラン」を
立ち上げた。この時にも伊藤雅俊名誉会長が、京都や東京などに店舗をもつ老舗の割烹料亭「吉兆」を紹介している。
全国のホテルや旅館へ自ら営業で走り廻る森社長だが、ホテルに行きながら泊まらずに帰っている。運賃の安い早朝便や最終便を利用し、空港までは電車を乗り継ぎ、経費の節減に努めている。ヒルズ族と一線を画すような堅実経営は、誠実で謙虚な人柄と創業時の苦労が躰に刻み込まれている証でもある。
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