ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 140

☆ ホリーのお気に入り☆

2007.03.06号  

 ティファニーは1837年8月18日に、170年にわたる歴史が始まった。この日チャールズ・ルイス・ティファニーと学友のジョン・B・ヤングが、ニューヨークのブロードウェー259番地にステーショナリーとファンシーグッズのブティック「Tiffany & Young」をオープンした。この店は厳選した商品のみを販売する姿勢が共感を呼び、当時としては珍しく「値引きに応じない」ポリシーを貫いていた。1851年に銀細工の名人を迎えて、オリジナルの銀製品を発売。ティファニーは世界で初めて銀製品に、純度92.5%のスターリングシルバーを使用した。のちにこれがアメリカ合衆国における公式な純度基準となった。これ以降、ジュエリーメーカーとして成長する。1853年にはチャールズ・ルイス・ティファニーが会社の全権を掌握し、社名を「Tiffany & Co」と改称した。本店の入り口にはギリシャ神話の巨人、アトラスに支えられた大時計が設置された。この頃ティファニーが販売するシード・パール(小粒の真珠)を使った豪華なジュエリーが、アメリカ社交界で流行するようになり、1857年にはティファニーが購入したピンクのパールがフランス王冠に使用された。1861年のアブラハム・リンカーン大統領に、就任式で授与されるピッチャーのデザインがティファニーへ依頼された。大統領は選挙の勝利を記念して、婦人へ就任祝賀舞踏会で身につける、ティファニーのシード・パールを贅沢にあしらったネックレス、ブローチ、ブレスレット、イヤリングなどを贈った。

 1862年頃の南北戦争では、ティファニーは北軍に刀剣、旗、手術用具などを提供し、ファラガット提督やグラント将軍、シャーマン将軍に宝石をちりばめた剣を献呈した。1886年にはダイヤモンドを6本の立て爪で固定する、ティファニー・セッティングを発表し、以後はダイヤモンドを最も美しく魅せる固定手法として、多くのジュエラーのあいだで定着した。翌年にはフランス王室の宝飾品を購入したことから、チャールズ・ルイス・ティファニーは「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになった。1885年にはアメリカ合衆国印章の、デザインをティファニーが改訂した。このデザインは現在も1ドル紙幣の裏に描かれている。1907年、ティファニーの主任宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツ博士が、宝石の国際的な重量基準としてカラットの採用を提唱。1926年にはティファニーが用いていたプラチナの純度基準が、アメリカ合衆国における公式な純度基準に採用された。1940年には本店をニューヨーク5番街に移転し、1955年にはウォルター・ホービングが経営権を買い取り、3代目の経営者となる。1968年にはジョンソン大統領夫人から、ホワイトハウスで使用する食器一式の、デザインを依頼される。このデザインには40種類のアメリカの花が描かれている。2006年3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシックの、優勝チームに授与された純銀製の優勝トロフィーも、ティファニーで製作された。

 『ホリーはニューヨークのアパートで、名前のない猫と暮らしていた。ホリーの夢はティファニーのようなところで暮らすことだった。人なつこくて可愛いホリーは、ティファニーのショーウィンドーの前で、パンをかじるのが大のお気に入りだった。ある日、ホリーが住んでいるアパートにポールという青年が越してきた。彼は作家だと言っているが、インクリボンもついていないタイプライターを持ち込んでいた。室内装飾家と称する中年女が、いつも一緒にいて夜半に帰っていった。彼は作家を志しているだけあって、何に対しても好奇心が旺盛だった。ホリーと知り合うと、キュートで都会的センスを持った彼女の性格に惹かれるようになり、ホリーも都会の塵にまみれながらも、純真さを失っていない彼の性格に興味をもった。でも、ホリーには彼に言えない秘密があった。ある夜、ホリーは彼の部屋へ窓から入っていった。彼女はティファニーのことや、入隊中の兄のことなど、おしゃべりに夢中になった。時計が4時半になると「私達はただの友達よ」と言って、ポールのベッドへ潜り込んでいった。エレガントで可愛いホリーには、いつも男達がつきまとっていた。テキサスから夫が迎えに来た時も、素っ気なく追い返すのだった。一方のポールもパトロンとなっていた中年女とは縁を切った。そんなときに彼の書いた短編小説が、50ドルで売れたのだった。ホリーはポールへのお祝いに、お気に入りのティファニーへ誘った。ホリーが麻薬密輸事件に巻き込まれた時には、彼が警察からの身元引受人になってくれたこともあった。ブラジルへ行くと言ってきかなかったホリーも、次第に彼の真剣な気持ちに動かされていった。やがてホリーは、彼の胸に顔を埋めるようになった。』1950年にトルーマン・カポーティが「ティファニーで朝食を」を出版した。このベストセラー小説を、1961年にパラマウントが映画化。ホリーをオードリー・ヘップバーン、ポールをジョージ・ペパードが演じて大ヒットしたロマンチック・コメディである。都会の妖精のように軽やかで、コール・ガールを演じても下品にならないオードリーの魅力満載の作品だった。ジョージ・ペパードも、いかにも人の良さそうな好青年振りと、ホリーに振り回される役柄がぴたりと填っていた。監督は「ピンク・パンサー」シリーズなどで、軽妙なタッチを得意とするブレイク・エドワーズ。音楽はヘンリー・マンシーニが担当し、オードリーをイメージして作曲したと云われる「ムーン・リバー」は、スタンダード・ナンバーとして、今では多くのミュージシャン達が演奏している。

 ティファニーは創業以来、着実に社会に浸透してゆき、19世紀末ころには諸国の王室や皇室御用達のジュエリーブランドとなった。ティファニーの母店はニューヨーク五番街にあり、「ティファニーで朝食を」の大ヒットで観光名所にもなっている。今ではロンドン、パリ、ローマ、シドニーなど世界20ヶ国にブランドショップを展開している。日本では1972年に日本橋三越にティファニーブティック一号店がオープン。1996年には東京・銀座にティファニー本店をオープンさせ、当時の銀座・中央通りの人の流れを変えたとまで云われている。現在は東京・丸の内店、六本木ヒルズ店のほか、北海道から沖縄にある三越や高島屋など、有名百貨店内にブティックを展開している。ティファニーでは高い品質と幅広い価格帯の商品を扱っており、ショッピングに夢を与えるブランドとして多くのファンに認知されている。日本では若者達がクリスマスやホワイトデーの贈り物として、オープンハートのペンダントが人気を集めている。ティファニーのブランドバリューを裏付けるエピソードが、1906年の新聞に書いてある。「ティファニーには、どんなにお金をだしても、決して買えないものが一つだけある。だが、お客が商品を買うと無償で提供してくれる。それはティファニーの名が冠された箱である。その箱の中に責任を持って造られた製品が納められていない限り、その箱を店から持ち出してはいけないという、創業以来の厳しいルールが貫かれているからである」


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