ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 163

☆ 3世代で育てた世界ブランド☆

2007.08.14号  

1925年、エドアルドとアデーレ夫妻がローマのプレヴィシート通りに、小さな皮革製品と毛皮工房をオープンさせた。ハリウッドで流行していた毛皮の襟巻きにヒントを得て、毛皮のコートを売り出したところ、大成功を収めるようになった。アデーレの才知と経営手腕により店は順調に発展し、5人の娘達は偉大な母の、後を受け継ぐようになった。
46年にピアーヴェ通りに新たな店をオープンさせることになり、これを機に15歳になった長女のパオラが、仕事を手伝うようになった。その後もアンナ、フランカ、カルラ(現社長)、アルダの妹たちが続き、以来会社は世界的なブランドに育ち、フェンディのコートはセレブな女性達のステータス・シンボルとなった。
65年に新進気鋭のカール・ラガーフェルドを主任デザイナーに抜擢し、彼の革新的なアイデアと類い希な職人技との結びつきによって、ほかの専業毛皮業者の追随を許さないブランドに育っていった。ラガーフェルドのラグジュワリーで個性的なデザインは、フェンディの成長を加速させる原動力となった。
69年には毛皮コートのプレタポルテを発表。皮革製品の脱色や染色加工、プリントなどの新しい技法が試みられた。この時にバッグや小物類を同時に発表し、40年代からコートや羊のバッグに裏地として使っていた「ダブルF」の柄を表面にも使うことにした。
フェンディを代表する「ズッカ柄」が誕生し、以後はブラウン地にブラック文字の「ダブルF」はフェンディ・ブランドを象徴するデザインとして人気を集めていった。

77年に皮革製品にコートやジャケットなどのアイテムが加わり、本格的にプレタポルテに参入するようになった。ラガーフェルドが最初に発表したコレクションは、ニューヨークの有名百貨店「ヘンリ・ベンデル」が、コレクションを全て買い占めたという。
80年になると、それまでのダブルF柄に、幅広のストライブ柄ペカンを新たに加えた。
85年になると創業60周年と、ラガーフェルドとのコラボレーション20周年を記念して、展覧会を開催し、この年にはフェンディとして初の香水も発表した。
87年になると創業者であるフェンディ夫妻の、孫世代も本格的に経営に参加するようになり、毛皮とスポーツウェアーラインの「フェンディッシメ」を発表。89年にはアメリカ初の旗艦店をニューヨーク5番街にオープン。90年に衣類と小物のトータルメンズコレクション、フェンディ・ウオモを発表。メンズはシルヴィア・ベントリーニ・フェンディがデザインを担当するようになった。
97年にはスタイルオフィス・デレクターとなっていた、シルヴィア・ベントリーニ・フェンディによって新作バッグ「バケット」が発表され、一大ブームを巻き起こした。フランスパンを小脇に抱えているように、見えることから名付けられたこのバッグは、クロコダイルやファーなど600種類のバリエーションが生まれ、世界で40万個も販売される、大ベストセラーアイテムとなった。
99年に新作バッグ「ロールバッグ」が発表されたが、この年にフランスLVMHグループとイタリアのプラダが資本参加して合弁会社を設立。世界で直営店を83店舗まで拡大したが、
01年にプラダが保有する全株式をLVMHグループに譲渡した。LVMHグループがフェンディの株式51%を保有することになり、LVMHグループの一員となる。又、この年のS/SコレクションでダブルF柄の、一回り小さなサイズ「ズッキーノ」を発表。

カール・ラガーフェルドは38年にドイツのハンブルグで生まれる。頭髪はロマンスグレーだが、見た目はあまり印象が良くない大きなサングラスを、いつも掛けている。
彼のデザインはストリートファッションをエレガントに表現し、独特なクリエイティブな世界を表現いているのが特徴だ。シーム無しの袖付け、軽く丈夫なヘム・ライン、すっきりとしたレイヤードなど、斬新な手法を数多く提案している。洋服を皮膚と考えるラガーフェルドは、身体を縛らない着やすい服創りをテーマにしており、「重ね着の魔術師」「トータル・ルックの名手」などと言われている。
52年に14歳でパリに移り住み、16歳で国際羊毛事務局が主催するコンクールのコート部門で優勝する。その後ピエール・バルマンやジャン・パトゥのオートクチュール・メゾンで働き、62年に独立してプレタポルテに進出した。
63年にはクロエ創業者に請われて、クロエのヘッド・デザイナーになる。65年に弱冠27歳でフェンディのデザイナーに就任。83年にはクロエを去ってシャネルのデザイナーに就任する(既号136.試作品番号No5)。翌年には自らのブランド「カール・ラガーフェルド」を立ち上げた。86年にはデ・ドール(金の指貫)賞を受賞する。92年にクロエのデザイナーに復帰。以後はフェンディ、シャネル、クロエ、そして自らのブランドと、四つのメゾンのデザイナーを兼任している。
03年、スタインウェイ社の創立150周年記念に制作されたピアノ「カール・ラガーフェルド」モデルのデザインを手がけた。150台の限定品は1台1100万円だったと云われる。

ラガーフェルドが考案したコート裏地の、Fを組み合わせたダブルFのモノグラムは、ジャガート織り地のバックにも使われ、世界中の女性達の憧れとなる。特に日本での傾向は著しいものがある。ロゴ好きの日本人の心を見透かすような、鮮やかなテクニックを用いているブランドの一つである。
日本では72年からアオイによって展開されている。74年にホテルニューアータニ・サンローゼ赤坂にブティックをオープンした。しかし、フェンディがLVMHグループの一員となってから、LVMHとアオイの合弁会社フェンディ・ジャパンが設立される。その後はLVMHが主導する店舗展開となり、上階にアオイの本社があった赤坂店は閉鎖されることになった。
02年秋には神戸市・中央区の旧居留地商業ビルの、1F&2Fにルイ・ヴィトンとベルルッテイと共に大型店をオープンする。国内2店目の大型店で、毛皮専用サロンを設け、博多リバレイン店のみで扱っていたメンズ・アイテムも展開するようになった。翌年春には銀座・並木通り店を閉鎖し、9月には表参道のLVMH複合ビルに、セリーヌ、ダナ・キャラン、ロエベと共にONE表参道店をオープンさせた。
ONE表参道店は、国内最大のショップで広さと品揃えを誇っている。1階がショップ、2階はショップとVIPサロンとなっている。定番のファーアイテム、バッグ、シューズ、革小物からプレタポルテまでラインナップ。日本初となるソファーやクッションなどのインテリアラインも展示されている。
直営路面店は大阪・神戸・博多にオープンしており、国内有名百貨店などにインショップを25店舗展開している。




<< echirashi.com トップページ     << ビジネスコラムバックナンバー