「お伊勢まいり」で有名な伊勢神宮。その門前町で生まれた「赤福」は古くから多くの人達に愛されてきた。デパートの物産展などでも、赤福餅が売られていると、売り場前には行列ができ、すぐに売り切れてしまうほどだ。土産に貰ったことのある赤福餅は、赤に因んだのか、包装紙や商品名のロゴも赤だった。箱には「伊勢だより」なる、その日に因んだ文章や絵の描かれた紙片があり、描かれている橋は内宮前の宇治橋とのことだ。
箱を開けてみると餡の山がきれいに並び、これが指の形なので手作りであることが一目でわかる。付いていた木べらで餡の山を一欠きすると、その下に餅がある。食べてみるとやわらかい餅で、甘さ控えめの上品な味だ。話で聴いていた、期待通りの土産だった。
1707年(宝永4年)に皇大神宮(伊勢神宮内宮)前の、五十鈴川のほとりで販売されていたのは確認されているが、その以前は何時から売られていたかは定かではない。「赤福」の名は「赤心慶福」に由来しているという。「まごころ(赤心)を尽くすことで、素直に他人の幸せを喜ぶことができる(慶福)」という意味だという。山のように見えた餡は、五十鈴川の流れを表し、白い餅は川底の石を表していると言う。300年も前から売られている赤福餅は、販売し始めた頃は砂糖が大変な貴重品だったため、塩味の餡だったと云われる。1727年に八代将軍・徳川吉宗が、砂糖の原料となるサトウキビ栽培を奨励し、砂糖の生産が増えたことから、赤福も黒砂糖を使うようになった。
1911年に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が伊勢神宮を参拝されたときに、赤福餅を所望された。甘味と灰汁の強い黒砂糖では「皇后陛下がお気に召さないのではないか」と案じた赤福が、特製の白砂糖餡が入った赤福餅を献上したところ、大層お気に召された。その後は一般の販売にも白砂糖餡を使うようになり、現在の赤福餅が完成したという。赤福では昭憲皇太后が所望された5月19日を「ほまれの日」として、包装紙にも「ほまれの赤福」と表示するようになった。
赤福餅は知名度の高い和菓子土産の一つである。その種の全国売上高ランキングでも常に上位にあり、物産展などでは大変な人気である。販売は基本的に直営店と、在庫を管理する営業所の近辺に限られている。中京・近畿圏のJR主要駅、近鉄沿線の特急停車駅、高速道サービスエリア、百貨店や空港売店などで売られている。偶然かも知れないが、伊勢神宮の信仰が強い地域と重なっているようである。伝統企業の国際組織で、清酒大手の月桂冠などが加盟しているエノキアン協会にも加盟している。
赤福餅は防腐剤等の保存料を使わない生菓子であるため、夏期は製造年月日を含めた2日間で、気温の高い6月から10月には通信販売はしていない。冬期は3日間を消費期限としていた。今年1月に大手菓子メーカー不二家が、消費期限切れの牛乳をシュークリームの製造に使用していたとの報道があった。これを機に不二家はオーナー一族の確執が取りざたされ、社内管理体制の脆さをさらけ出し、マスコミの誤報や捏造報道などで、一時は会社存続の瀬戸際に立たされた。話題不足のマスコミから恰好の餌食にされてしまった面も、無いではないようだ。事実の報道もあったが、誇大報道等もあり社会問題化した事件であった。
不二家側の反論では、「蛾の混入したチョコレート」「工場内でネズミを捕獲」などの報道は、過去にあった改善済みの問題を、最近あったかのような事として取り上げられていた。
「消費期限切れ牛乳」についても、商品テストなどで安全に食べられる期間の80%の期間を、自社独自の消費期限としていたが、これを1日過ぎていたのを報道された。当然のこととして通常の消費期限は満たしていた。「食品衛生法の10倍以上の菌が検出」については、洋菓子には食品衛生法の規定はなく、洋生菓子衛生規範である。また、菌が検出されたとされるシュロールも、検査対象外の生イチゴを含めた誤った検査結果であり、イチゴを取り除いた正しい検査では国の基準を満たしていたと言う。「大腸菌が検出された」も、大腸菌は全く検出されてなく、検出されたのは大腸菌群に分類される他の菌であった。
話題を集めたTBSの朝のワイドショーでの報道についても、後日TBS側が「誤解を招きかねない報道だった」と謝罪したが、その頃の視聴者の関心は、他の報道に移ってしまい、消費者はTBS側が謝罪した認識など無く、消費者には悪いイメージだけが残った。
何故、このような報道になってしまったのか。国の基準は満たしていても、独自に定めた社内規定や、国際標準化機構に準拠して取得した品質マニュアルも、遵守されていない部分が多々あった事は事実だ。不二家の経営陣は問題発覚後に、雪印事件が脳裏にあったと云われる。当初の社内報告書に不自然な点が複数箇所あったことから、直ぐには公表せずに社内調査を進めていた。ところが、この報告書が社外に流失してしまい「不二家の隠蔽体質」と大々的に報道されてしまい、あとは全てが悪循環であった。
経営陣の確執によって、社内管理体制がゆるみ、問題発生時に混乱を招く、それを週刊誌やワイドショーが面白可笑しく取り上げ、傷口をさらに大きくしてしまった。社内管理体制を整備し、事実は事実として速やかに公表する体制が必要だ。企業にとって経営の品質管理が最優先課題であり、結果として商品の品質管理体制も整備されるのだが。8月には北海道の菓子メーカーである石屋製菓(札幌市 石水 勲社長)が、本社工場で製造したアイスクリーム類やバウムクーヘンから、大腸菌群や黄色ブドウ球菌が検出されたと、マスコミ各社から発表された。同時に「白い恋人」も賞味期限を改ざんして販売していたことも明らかになった。北海道を代表する土産品「白い恋人」は、生産停止に追い込まれ、石屋製菓の石水社長も辞任に追い込まれた。「白い恋人」のファンは、このような会社の商品は、安心して買うことが出来ず、「黒い恋人」(既号166.黒い恋人)と呼びたくなる怒りの心境となった。
10月になり赤福も 300年の歴史に黒い汚点を残した。12日に農水省がJAS法に反して製造年月日を偽装表示して販売していたと発表した。また、不正表示は 30年以上前から常態化していたという。農水省によると、製造後に冷凍してから最大で、14日間保管した製品を解凍し、再包装して出荷する際に製造年月日を、出荷日の日付を表示し、消費期限もそれにあわせて変更していた。平成 16年9月から今年の8月まで、こうした商品が出荷量の
18%にあたる約605万箱が出荷された。
三重県・伊勢保健所は19日になり、店頭で売れ残った商品の、再出荷や再利用していた行為について、食品衛生法違反があったとして、同社を無期限営業禁止処分とした。
出荷しなかった商品や、売れ残った商品を冷凍保存し、後日「まき直し」と称して、必要に応じて解凍・再包装していたことも判明している。また、工場が暇な時期に作りだめし、繁忙期の年末年始などに解凍して出荷していた。売上を伸ばし、ロスを最小限に抑えるのが目的で、製造現場の社員だけでなく、管理部門の社員も認識していたと云う。20日になっての報道では、これらの工程には手順書やマニュアルはなく、長年に亘り口頭で受け継がれてきた当たり前の習慣という。2005年より引き継いだ十一代・濱田典保社長も、事態は承知していたとの報道があり、「経営陣は知らなかったという」18日の謝罪会見での弁明とは食い違いが露見している。どうやら赤福の経営陣には、遵法精神や顧客満足への取り組み姿勢が、希薄だったとしか思えない。
不二家は山崎製パンとりそな銀行に支援を仰ぎ、創業家一族以外の平取締役を社長に抜擢して不祥事を収拾した。石屋製菓は主要取引銀行である北洋銀行から、後任社長を迎えることになってしまった。ともに今年になってのことであり、あれだけマスコミが報道していたにも拘わらず、対岸の火事として何らの教訓も得ていなかった十一代目。今後どのように収束させるのだろうか。赤福のホームページには「お詫び」文が掲載され、他のページは閉鎖されている。長い歴史にさらなる汚点を付けないことを祈るばかりである。
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