ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 191

☆ 青春の思い出☆

2008.03.04号  

 イタリアにある水の都ヴェニスは、多くの運河と橋、個性豊かな景観、数々の歴史的建造物に残された絵画・彫刻など、古くから芸術家達を始め多くの人々を魅了してきた。この町で生まれ育ったジュリアーナ・カメリーノにとっては、生まれ故郷であるだけではなく、自らの創造力の源泉を培った町でもある。彼女は心からヴェニスを愛し、現在も運河の畔に建つ15世紀の館に本拠地を置き、華やかな美を世界に発信し続けている。ジュリアーナ・カメリーノがバッグのデザインを始めたきっかけは、第二次世界大戦中に戦禍を逃れて、家族と共にスイスへ亡命していたときだった。まだ十代の彼女が、自分でデザインしたバッグを持っていた。ある婦人がそれに目にとめ、大変な気に入りようだったので、譲ったことが始まりだった。19歳の時にはその婦人の誘いでバッグのデザインをするようになった。1945年の終戦と共にイタリアに戻り、ヴェニスに小さな工房を構えて「ロベルタ社」を設立した。これが彼女のロマンチック・ストーリーの幕開けとなった。

 彼女が工房で最初に手がけたのが、伝説のバッグと云われる「バゴンギ」だった。色鮮やかなベルベット素材が使われ、独特なフォルムのバッグは、発表と同時に大変な話題を呼んだ。世界中の女性の心を掴んだバッグは、たちどころにして「ロベルタ・ディ・カメリーノ」の名を世界ブランドへ押し上げていった。ジュリアーナのデザインワークは、この成功を受けてプレタポルテやシューズなどへと、拡がりと充実を見せるようになっていった。56年にはファッション界のオスカーといわれるニーマン・マーカス賞を受賞する。その後も独自のスタイルで様々な分野へと進出し、69年にはイタリア政府より、国際的デザイナーとしての活躍を評価されて勲章を得る。73年にはインターナショナル・マスター・オブ・ファッションアワードを受賞。78年にはMaschera Aregeuto(銀の仮面)を受賞。また、同年にはニューヨーク・ホイットニー美術館で、デザイン展を開く。80年にはヴェニスでもデザイン展を開催。そして同年にヨーロッパ・オスカー賞も受賞した。95年には日本と台湾でファッション・ショーを開催している。ブランド誕生から60余年を経ても、「世界のジュリアーナ」として、バッグ・靴・レディースファッション・小物雑貨など、ライセンス商品も含めて、幅広く積極的な創作活動を続けている。近年のミラノ・コレクションでは、孫娘のテッサ・ザンガが右腕となって活躍しており、得意のトロンプロイユを使ったスポーティーなスタイルや、「だまし絵」でプリーツを描いたストライプ柄のキルティング・ブルゾンを作ったりしている。カジュアルなアイテムをクラッシックな柄で、品を良く見せたコレクションなど、どんどんと若返っている。ヴェニスの有名な三人の画家、ティチアーノ・ベロネーゼ・テイントレットの作品から、影響を受けたレッド・ネイビー・グリーンのシンボルカラーと、独創的なデザインが織りなす創造性は、流行に左右されない、揺るぎないブランド・ポリシーとして貫かれている。

 作曲家ジェローム・カーンがラジオ番組のためにテーマ曲を書いた。行進曲風の歯切れの良い曲だったが、結局その番組では放送されることがなかった。33年にオットー・ハーバックが詩を付けて、舞台ミュージカルに使うことにした。しかし、またもやリハーサルでは誰も興味を示すことがなかった。カーンは急遽曲のテンポを遅くし、所々を甘いメロディーに変えて、バラード風にしたところ大反響となった。観客はこの曲の場面になると、感動のあまりショーを途中で止めてしまうほどの当たり曲となった。その年の暮れのヒットチャートでは、ポール・ホワイット楽団と、ベニー・ベリガンのトランペットで演奏した曲が、連続6週間も一位となった。その後も多くのアーティスト達が、レコーディングしてヒットチャートにも度々登場した。しかし、この曲を58年から59年にかけて爆発的なリバイバルヒットをさせ、世界的に有名にしたのが、黒人ボーカル・グループであるプラターズの、悲痛な叫びのごとく切なく歌い上げる熱唱であった。『Smoke Gets In Your Eyes』(煙が目にしみる)は、ジャンルを超えたスタンダード・ナンバーとして、多くのファンに愛され続けている。日本でもこの曲でプラターズのファンになった人も多く、この曲をカバーしたキング・トーンズなどを知らない世代でも、度々テレビCMに使われていたので多くの人達が一度は耳にしたことがある名曲である。『恋は盲目。恋の炎が燃えさかっているときは、その煙で何も見えなくなっている・・・』やがて恋は終わり、恋人は去って行った。『恋の炎が消えてしまう時、その煙が目に入ってしみるのさ・・・』と、涙を隠せない言い訳をする失恋の歌だが、感動的な名曲である。33年の舞台「ロバータ」は、パリにある一流婦人衣裳店ロバータを舞台に、繰り広げられる青春ミュージカルである。そして、この曲は第二幕のステージで、パリに亡命しているロシア王女ステファニー役に歌わせたのが最初であった。35年には映画化され、映画ではダンスの名手フレッド・アステアが主演するとともに、舞踏の振り付けも担当した。ジュリアーナ・カメリーノにとって、この映画と曲は青春の思い出が凝縮されており、大好きだったフレッド・アステアの演技は、彼女の永遠の青春として胸に刻まれている。ミュージカルのタイトルであるロバータ(Roberta)を、イタリア語で読むと「ロベルタ」。彼女は青春の思い出を、自らの名に冠してブランド名にしたのだった。

 2000年秋、東京・銀座並木通りに「ロベルタ・ディ・カメリーノ」がオープンしている。イタリア本国で作られたバッグを中心にカバンや、ブランド・カラーの赤・緑・青色で、お洒落に仕上げた人気のスカーフや傘などのインポート・グッズを揃えた旗艦店である。話題のバゴンギを始め、シーズン毎に発表される約40モデルのバッグから、シーズンに先駆けたバッグのオーダーも出来るショップである。レディースをメインとしているが、ネクタイなども取扱っている。メンズ・アイテムの多くは、プレゼント・ユースとして多くの女性から好評を得ているという。日本国内のレディス・アパレルのライセンス展開は、69年にオーミケンシのアパレル製品部門として、設立されたミカレディがおこなっている。高感度な女性をターゲットとしたエレガントなプレタ・ラインと、トレンド性に遊びを加えたカジュアル・ラインのツーラインを展開している。イタリア・ブランドならではの、大人の感性と上質感にこだわったテンポラリー・ラインのファッションである。ロベルタ・ディ・カメリーノが最近のコレクションで発信するメッセージでも、クオリティーの高い素材、特徴ある配色のオリジナルプリント、だまし絵のテクニックを使った遊び心、それにブランドメッセージでもあるRマークの装飾など、オリジナリティ溢れるロベルタの世界を表現している。


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