国産ニンニクは、中国製ギョーザの食中毒事件の影響もあり、全国から注目を集めている。日本一の産地である青森県・田子町では、町の名前を冠した「たっこにんにく」で、町おこしを推進。田子町は青森県の最南端、奥羽山脈の山懐にある典型的な中山間地の、人口約8000人の町である。気候は寒暖の差が激しく、冬は八甲田山から吹き付ける風で、農作物の生育には条件の良くない土地柄で、出稼ぎに出る人達も多い地域であった。町の将来に危機感を抱いていた町の青年達は、田子町の北東に位置する福地村で栽培しているニンニクが、結構な商売になっていることを聞きつけた。十数名が親を説得して10万円を集め、1万個のニンニク種を買うことにした。
「福地ホワイト六片種」と呼ばれる種ニンニクは、それまで誰も育てたことがなく、栽培の仕方も判らなかった。半数の人達しか成育することができなかったが、徐々に種を増やすことができるようになり、4年後の1966年になって、ようやく出荷にこぎつけた。
商売になるかどうかも判らなく、意気込みだけの初出荷は、リンゴを出荷するトラックの片隅に紛れ込まして出荷するほど、肩身の狭い船出であった。しかし、町の将来を賭けた若者達の努力は、7年後には67戸もの農家が集まり、出荷量も次第に増えていった。
やがて、青年達がつけた道筋に、我も我もと賛同し、作れば売れるという状態になった。「たっこにんにく」の人気は膨らみ、反収で80万円から90万円が当たり前のようになり、20歳代で家を建てる若者も多かった。凄まじい勢いで湧いたニンニクバブルだが、長続きすることはなかった。田子の農家が挙ってニンニクを作付けした結果、71年から72年にかけて、価格が急落して儲けも薄くなり、採算が取れずに止める農家も出てきた。
田子町農協は、町がニンニクの産地として生き残るために、選果の基準を厳しくする方針を執った。生産農家は自ら生産したニンニクを、自分で選果する「自家選果」を徹底させ、生産品のキズの有無や大きさも選別し、商品規格を統一することに乗り出した。
規格の統一により出荷場へ運ばれる生産品は、厳しくチェックされ基準に満たないものは、容赦なく突き返される。生産農家からは不満の声も上がり、一時は農協と生産者の間に険悪な空気が流れる事態にもなった。
しかし、努力の甲斐もあって、当初は相手にしてくれなかった市場でも、手応えを感じるようになった。東京の市場でも「田子のニンニクは、ハズレがない」と、開場まもなくで完売することが度々あった。やがて、田子のニンニクは全国的に評価を上げ続け、生産農家も増えて、91年には8億円の生産額を突破した。テレビや新聞などのマスコミにも、取り上げられるようになり、田子町は日本一のニンニク生産地として、全国区の知名度となっていった。90年代に入り中国産のニンニクが、輸入されるようになった。93年には急拡大し、青森県全体の収穫量8846tを大きく上回る16371tの、中国産ニンニクが輸入された。消費者は価格の安い中国産に飛びついた。このショックは田子町を直撃し、販売額は半減して生産者の栽培面積も激減した。
中国産と同じ土俵で戦っても結果は明らか、中国にはできない大玉で勝負を賭けた。バイオテクノロジーを駆使し、大玉品種を導入することにした。利益の出ない小玉は加工して出荷。大玉と加工品の二本柱で、強敵の中国産ニンニクに対抗することになった。
「たっこにんにく」がその名を高める上で、ニンニクの酢漬け加工品「にんにこちゃん」の存在が大きかった。その考案者である町の女性達の果たした役割も大きかった。形が悪くて出荷出来ないニンニクの有効利用と、加工することで付加価値を高める経営は、再び町に活気を取り戻した。
女性達が生み出したニンニク加工品は、次々と増え、カレーにラーメン、チョコレートにワイン、それにご飯のふりかけなど。現在、こうした商品は町の中心部にある「ガーリックセンター」にズラリと並べられている。そんな中、64歳になる佐野房は、自らニンニク料理のレシピを満載した著書「おいしい にんにく料理」を出版。町民挙げてニンニク日本一への取り組みを展開している。大ぶりの田子ニンニクは、雪のように白く、引き締まった身と、糖度の高さが特徴である。消費者からは「レシピ通りに料理を作ったら、とても美味しかった」という声が、農協に届けられる。徹底した品質管理と安全管理でブランド力が高まった。現在では首都圏のスーパーでも、Mクラス2個で200円前後と、まさしくブランド品となっている。中国産ニンニクが、数十個入ったネット一袋で200円前後の商品価格と比べ、1個あたりの価格は20倍から30倍の高値となっている。
「たっこにんにく」は06年に、東北地方で初めて地域団体商標登録された。町長が先頭に立って生活協同組合や食品スーパーなどへ、トップセールスを展開し、新たな販路を開拓している。こうした行政側の支援に答え、生産者側も注文に応じられるような生産体制の構築や、ブランドに恥じない管理体制も整備している。JAたっこにんにく専門部会が仕組み作りを担当。栽培農家には「にんにく栽培日誌」の記帳を奨励し、インターネット上で公開している。栽培日誌には生産者の住所氏名は勿論、圃場の所在地や面積、植え付けや収穫の時期、施肥の種類や施用量、殺虫剤の希釈度合いや散布量、各種農薬の散布状況などが詳細に記されており、消費者心理に配慮した情報公開をしている。
田子町は昔から田子牛などで知られる畜産の町でもあり、ミネラルや鉄分を多く含んだ堆肥を生産し、環境保全型農業を推進している。各生産者も農作物栽培の基本である「土作り」に研究を重ね、ニンニクに適した土壌つくりの努力を欠かさない。このようなニンニク栽培によって培われた生産技術と、商品管理技術、食の安全への取り組みは、トマトやキュウリ、枝豆などの野菜作りにも応用され、市場で高い評価を得ている。
田子町は十和田湖の南に広がる山々に囲まれ、四季折々の田園の美しさ、きれいな水と空気、そして星空のたいへん綺麗なことでも有名である。ニンニク以外でも全国的知名度を得られる要素を、たくさん持った魅力ある町でもある。
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