ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 202

☆ 庶民的価格で最高品質☆

2008.05.21号  


イタリアを代表する既製服ブランドであるベネトンの、鮮やかな原色を組み合わせたカジュアル・ウェアーは、世界のマーケットで根強い人気を誇っている。グループ企業合わせて世界120ヶ国、5500店舗でビジネスを展開している。一族の長であるルチアーノ・ベネトンは、1935年にイタリア・トレヴィーゾで生まれた。ルチアーノが20歳の時、初めてのコレクション「トレ・ジョリー」を発表。10年後の春には最初の工場を完成させた。
夏にはジュリアーナ、ジルベルト、カルロの兄妹も力を合わせ、会社名をトレ・ジョリーから「ベネトン」に変更し、同時にブランド名も「ベネトン」とした。そして、最初の単独ショップ「マイ・マーケット」を、ベッルーノにオープンさせた。
イタリアに多い典型的な家族経営企業で、創立後間もなく原色の色彩豊かなニット製品が、若者を中心に人気を集めた。優れた経営手腕で事業は急速に発展し、内外に拡大していった。69年には国外1号店をパリ・サンジェルマンにオープンして、世界制覇のスタートを切る。74年にはフランスのブランド「シスレー」を買収。国内800店舗、国外で100店舗に達し、イタリアを代表する国際企業となった。77年にはロンドンの一号店を、サウス・モルトン通りにオープン。翌年にはフランス国内で200店舗を突破し、更にその翌年にはアメリカ一号店をニューヨークにオープンするなど、破竹の快進撃を続けた。

現在、執行会長の職にあるルチアーノは、イタリア上院議員も勤めた名士でもある。ルチアーノの基本理念である「庶民的な価格で最高の品質を提供する」との考えは、世界各国で受け入れられていった。消費者から見たベネトンの魅力は「品質・価格・耐久性」であり、ルチアーノの信念は「使い捨てのファッションであってはならない」そして、「3回着ると製品価格よりも、クリーニング代の方が高くなってしまうので“捨ててしまおう”と思うような質の低い衣服であってはならない」としている。
ルチアーノの長男であり、後継者として副会長を務めるアレッサンドロも、父の基本路線を継承することを内外に明言しており、今後も経営方針に変化はおきないようだ。64年生まれのアレッサンドロは、91年に米ハーバード・ビジネススクールで経営学修士号を取得後、自ら投資会社を設立してキャリアを積み、07年4月より現職に就いた。
父親の「自分の行動に責任を持て」との教えと、後ろ姿を見て育ったアレッサンドロは、積極的なビジネス展開を描いている。「あらゆる国に進出するのが我々の哲学だ。市場が存在しない場所には、新たに市場を起こせばいい。成功例として、20年以上前に進出したインドは、今では大変価値の高い市場になっている。経済制裁を受けているイランにも敢えて進出。イランの若者も普通の生活を望み、外国に関心を持っているはずだ。そんな彼らとの関係を築くのは、当然のことと考えている。我々は、そうした進出機会を常にうかがっている。」年齢がそうさせるのか、過去の成功体験に裏付けられているのか、大変アグレッシブな戦略を語っている。

ベネトンはスポーツ関係のスポンサーとしても有名である。世界に大きな話題をまいたのが、F1レースのスポンサー活動であった。82年にティレル・チーム、翌年にはアルファ・ロメオ・チームのスポンサーになった。85年にはトールマン・ハート・チームを買収し、ベネトン・チームを結成。90年にはミハエル・シューマッハがベネトン・チームに移籍し、94年にはシューマッハがドライバーズ・チャンピオンを獲得した。翌年にはベネトン・チームがコンストラクターズと、ドライバーズ・チャンピオンの両タイトルを獲得。
シューマッハがフェラーリへ移籍すると、ゴクミこと後藤久美子と結婚したアレジを、フェラーリからベネトンへ迎え入れた。ベネトン・チームはカーレースのファンには、多くの夢と楽しみを与えたが、00年に広告塔としての役割を終えて仏ルノーへ売却された。
一方では、80年にイタリア・トレヴィーゾを、本拠地とするプロバスケットボール・クラブ、パッラカネストロ・トレヴィーゾの公式スポンサーになった。54年発足の名門チームだったが、ベネトンがスポンサーになったことで、ベネトン・トレヴィーゾを愛称とするようになり、セイエAで5回の優勝を誇る強豪である。その他、ラグビーなどのプロチームの、スポンサーにもなっている。

トレヴィーゾにあるベネトン本社は、ビラ・ミネッリと呼ばれ、ベネトン一族が69年に購入した16世紀の邸宅を改装したものである。中世の庭園を思わせる広大な敷地には、在イタリアの日本人彫刻家・安田侃作のオブジェが屋外展示されている。別な敷地にある文化広報事業の拠点ファブリカは、建築家・安藤忠雄の設計である。
ファブリカはルチアーノの提案により、44年に発足したベネトンのコミュニケーション・リサーチ・センターである。ファブリカとはラテン語で、ワークショップを意味する言葉だという。ここでの重要な仕事のひとつは、デザイン、音楽、写真、出版、インターネット等を学ぶ全世界の若いアーティスト達の、隠された創造性をサポートすることだと云う。
ベネトンの日本での展開は、81年にルチアーノが来日し、その翌年から始まった。現在では140店舗を展開している。春夏・秋冬の2シーズンごとに、本国で発表される各ブランドのコレクションを、全国のショップに供給している。ラインはベネトン・ブランドのレディース、メンズ、キッズ、マタニテイー。シスレー・ブランドのレディース、メンズ、キッズとなっている。
また、日本の優良企業多数にライランスを供与している。京都丸紅には着物をメインとした和装品、マツモトには学童カバンやトラベルバッグ、瀧本には小・中・高生用のスクールユニホーム、ブルーミング中西にはレディース&メンズハンカチ、パール金属には自転車や三輪車、三菱鉛筆には学童用文具と、多岐に亘る商品アイテムを、約30企業にライセンス供与している。
ベネトン4兄妹が立ち上げたビジネスは、昨年度で20億ユーロ(約3250億円)に達した。




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