ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 210

☆ サイクロン試作5127台☆

2008.07.16号  


英国のダイソン・リミテッドはサイクロン式掃除機を、世界で初めて開発製造した会社である。ダイソン社の掃除機はゴミや埃と空気を、遠心分離してきれいな空気を排出する「サイクロン技術」と独特なデザインで、短期間のうちに世界的なブランドに成長した。
紙パックなどを使う従来製品は、紙パックが一杯にならなくても吸引力が低下していた。
これと異なり、ゴミが溜まっても吸引力が落ちない。微細な埃も漏らさない画期的な掃除機は、世界で爆発的な売れ行きを示している。
創業者であり、現在ダイソン・リミテッド社の会長でもあるジェームス・ダイソンは、1978年にボールバローの塗装室内のエアフィルターが、塗料の微粒子に因って頻繁に目詰まりを起こすことに気がついた。従来の掃除機で使用する紙パックが、埃で目詰まりする現象だった。そこで、埃の重量の10万倍以上もの遠心力で、埃の微粒子を取り除く工業用サイクロンを設計。ジェームスはこの原理を、掃除機に応用することを考えて開発に着手。
そして、年の歳月と5127台の試作品を経て、世界初の紙パックを使用しない掃除機を生み出した。この画期的な機能はたちまち評判となり、爆発的な人気を得ることになった。
ダイソン社製品は、そのデザイン性の高さも広く認められており、ビクトリア&アルバート博物館(ロッテルダム)、サンフランシスコ現代美術館、応用美術博物館(ケルン)、デザイン・ミュージアム(チューリッヒ)、ジョージュ・ポンピドー・センター(パリ)、デザイン・ミュージアム(リスボン)、パワーハウス・ミュージアム(シドニー)など、世界の有名美術館で展示されている。
47年生まれのジェームスは、93年にダイソン社を設立して、画期的な掃除機を世界に普及させた功績が認められ、エリザベス女王よりナイトの称号を昨年授与された。著書には挫折と成功の半生を記した自伝「逆風野郎」(日経BP)がある。

ジェームスが紙パックを使わない掃除機を開発し、最初に販売したのは、ハイテク製品の本場である日本であった。ジェームスは年に第一号のGフォース型サイクロン掃除機を開発し、ライセンス生産による商品化を考え、欧米企業と商談したが、ことごとく断られていた。やむなく独自に製造販売をすることを決意。91年に日本の国際産業デザイン見本市に出品し、インターナショナル・デザイン・フェアー賞を受賞。その性能は日本で高い評価を得て、Gフォースは2000ドルで販売された。
この掃除機に感銘を受けたシルバー精工がライセンスを取得し、製造販売に乗り出した。
一方のジェームスは、日本からのライセンス収入を元に、ダイソン社を設立し、研究所と工場を開設した。ここではタバコの煙ほどの微粒子をもキャッチする新型掃除機を開発し、吸引力が低下することのない世界初の掃除機DC01を開発。この掃除機は発売後わずか年間で、英国のベストセラー機となる。これが契機となって米国など世界各国でダイソン製品が大ヒット。現在では世界44ヶ国でダイソン社製品を買うことができるようになった。06年までに世界で2400万台以上販売する快進撃である。日本では98年にダイソン株式会社を設立し、99年から販売を開始した。04年には日本の住宅事情に合わせてデザインしたDC12を発売。07年末までに日本での販売累計は100万台を突破した。
順風満帆のように見えたサイクロン技術であったが、特許料や大手メーカーの特許侵害から、発明を守るために掛かる法的費用は、大きな負担となっていた。作詞家のように、自分の作品が著作権に守られているのとは違い、発明者は多額の費用を払って特許を更新しなければならない。開発に明け暮れて収入が全く無かった頃、特許料や法的費用のためにジェームスは破産寸前であった。99年には英国フーバー社が、ダイソン社の製品を模倣しようとしたため、ジェームスは発明を守るために法定に立ったこともある。18ヶ月後には特許侵害でフーバー社に勝訴したが、特許を守るためには大きな犠牲も伴っていた。

デュアルサイクロンシステムの発明は、掃除機が1901年に誕生して以来の、革命的出来事であった。従来の紙パックの代わりに、二重のサイクロン構造を採用したことによって、埃で目詰まりを起こすことが無くなった。外側のサイクロンが大きなゴミや埃を分離し、内側のサイクロンが空気の流れを、さらに高速に回転させることにより、健康を脅かす微粒子を取り除くことが出来るようになった。
ダイソン社の科学者達は、さらに吸引力の高い掃除機を製作することに取り組んだ。サイクロンの直径を小さくすることで、遠心力が大きくなることに着目し、全く新しいタイプのサイクロンシステムの開発に着手。空気をつのサイクロンに分割することで、デュアルサイクロンよりも、45%も吸引力が高く、優れた集塵力を実現できる方法を開発した。
「掃除機をあちこち引き回さなくても良い掃除機は、作れないのですか」と言う、消費者の素朴な発想にも挑戦。個のコンピュータと50個のセンサーを搭載し、万時間にも及ぶ研究の後、人間よりも論理的に動作を制御するロボット掃除機も開発した。
ダイソン社の成功の鍵は、時間とエネルギーと資金を開発につぎ込んだことだった。優れた技術と工学的見知に基づいた開発、工夫されたデザインなどに、売上高の20%もの資金を研究開発に投資している。この比率は類似業界の中では格段に高く、薬品メーカー並の高い投資となっている。

ジェームスが掃除機を作ろうとした動機は、従来の掃除機は吸引力が弱く、イライラとする感情が押さえきれなかった。子供時代も大人になってからも同じだった。紙パックを交換しても、すぐに吸引力が落ちる。みんなが感じている不満が、一番大事なことだと気がついた。それと現在の製造業に対する考え方に、疑問を持ったことだった。
英国においても物作りは必要ないという風潮がでている。製造業は知的で無い人達の、きれいでない仕事だと見る傾向がある。英国の産業界には、将来に投資をしようとせず、昔の遺産で生計を立てようとする風潮がある。その結果、英国人は物作りが不得手だと考えるようになってしまった。こんな風潮に対する挑戦でもあった。
02年にはデザインテクノロジーや、エンジニアリングの教育支援を目指して「ジェームス・ダイソン基金」を設立。11年には若者にデザインや、物作りへの興味を喚起し、教育の場を提供するため「ダイソン・スクール・オブ・デザイン・イノベーション」の開校を目指している。現在の若者達は技術開発の楽しさや、物作りにおけるワクワクとした瞬間を体験したことがないのが大多数である。ジェームスは若者達を刺激する場を作り、物作りの喜びを共有しようとしている。
ジェームスの初来日は85年だった。そして、自分の発明を初めて商品化したのも日本企業だった。その後、自社で製造した掃除機を初めて販売したのも日本だった。日本に会社を作り、日本の住宅事情に合わせて作った小型掃除機は爆発的に売れた。ジェームスは自分を受け入れてくれた日本の、消費者には特別な感情を持っている。そして、日本における製造業にも、英国と同じような風潮があると感じている。日本の若者にも物作りを通して、ワクワクとした喜びを感じて欲しいと考えている。ジェームスの現在の夢は、日本に技術学校を創ることだという。




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