これからの季節、成熟した大人が休日を優雅に過ごす時に、着てみたくなるのが上質なカシミアニット。熟年になると、いろいろなブランドを組み合わせて着るのも面倒だし、それより“いい年をしてファッションで粗相をするのは怖い”という心理も働く。それに、コーディネートも自信がない。こんな時に頼りになるのが、伝統ある英国ブランドである。大人らしい統一感を持って、誰もが着こなすことができ、様になるのだ。
本物が似合う年になったからこそ、同じカシミアでも確かなブランドを選びたい。そんな粋な大人に相応しいのが、ニットの名門ブランド「プリングル・オブ・スコットランド」である。英国王室御用達の老舗ブランドには、他国のブランドがどうしても真似の出来ない正統派の品格が漂う。
1815年、ロバート・プリングルがスコットランドに、ソックスやアンダーウェアーなどを製造する会社を設立。この地域は生地産業が盛んで、アパレル製造には適した場所だった。
プリングルは1920年代から30年代にかけて、カシミアのツィンニット、セーター、カーディガンなどで有名になり、ハリウッド・スターや英国王室の御用達になった。セーターのアーガイルチェック(ダイヤ型のパターンがつながった格子柄)が大ヒットとなり、以後、このアーガイルチェックがプリングルのトレードマークとなる。48年には優れたカシミアを製造することが評価され、英国王室からロイヤル・ワラント(御用達許可証)を授与される。50年には、後ろ足で立つライオンが向かい合うロゴとして有名な、ランパント・ライオンが商標として登録された。
この頃から上流階級向けにゴルフウェアーを生産し、ゴルフのPGAオフィシャル・カシミアを提供し始めた。67年になって、世界最大のウールメーカー、ドーソン・インターナショナルに買収されて子会社となる。ドーソンはゴルフウェアーのマーケットを重視する戦略をとり、81年にはニック・ファルドと契約してイメージ戦略を展開。しかし、結果としてはプリングル=ゴルフウェアーのイメージが広がり、かつてのファッション性が失われてしまった。また、ライセンス供与による品質の低下もあり、ブランド価値が低下し、経営も徐々に傾いてしまった。00年、香港のアパレル業界の大物ケニス・ファング率いるファング・ブラザース・ニッティング社に600万ポンド(約12億円)で買収される。ケニスはプリングルに息子ダグラス・ファングを送り込み、経営の再建を任せた。ダグラスは初期投資として14億円を用意し、デザイン・チームを一新、CEOにはスコットランド出身のキム・ウィンザーが就任。
01年S/Sからは広告イメージも刷新し、ニットアクセサリーやレザーグッズなど、高いデザイン性を武器に展開するようになった。
02年にはヘッドデザイナーにスチワート・ストックデールが就任。プリングルが再度ハイファッションのブランドとして、ファッション界に返り咲くように改革を進めた。プリングルの全盛時に多く使用された、トレードマークのアーガイルチェックとツインセットを中心としたデザイン展開を進め、ロンドンのファッション・ウィークで展示し話題となる。
改革は除々に浸透し、マドンナやベッカム、ロビー・ウィリアムズなどが顧客となり、プリングルブランドは全盛期の輝きを取り戻すようになった。 ニック・ファルドは、派手さはないが非常に安定感のある選手で、マスターズと全英オープンで各3勝を挙げ、メジャー大会で6勝を記録した選手である。世界ランキングにも通算97週在位した。ヨーロッパツアーで30勝、アメリカPGAツアーで9勝、国際試合で4勝を挙げ、生涯通算40勝(全英オープンはヨーロッパツアーとアメリカPGAツアーの両方で優勝回数をカウントしている。ファルドは全英オープンの3勝がダブルカウントになっている。)の名プレーヤーである。
76年にプロツァーにデビューし、翌年にプロ初優勝を飾る。87年の全英オープンでメジャー初制覇。89年と90年にマスターズで2連覇し、65年と66年のジャック・ニクラス以来史上2人目の偉業を達成。90年には全英オープンも制し、メジャー大会年間2冠を達成。
この時のスコアは18アンダーで、10年後の00年にタイガー・ウッズの19アンダーに破られるまで、最少優勝スコアであった。96年のマスターズ最終日では、首位のグレッグ・ノーマンがファルドに6打差をつけ、優勝間違いなしと思われていた。しかし、ノーマンは悲惨な崩壊状態に陥り、誰もが信じられない6オーバーを叩いてしまった。5アンダーで回ったファルドに大逆転負けを喫し、ファルドは3度目の優勝を手にした。マスターズ伝統の一つに前年優勝者と、前年の全米アマチュア選手権優勝者が一緒に予選ラウンドを回る習慣がある。97年のマスターズでは、全米アマチュア選手権優勝のウッズと回ることになった。ファルドは若きウッズの勢いにのまれ、大会2日目で予選落ちとなり、最終日には21歳3ヶ月のウッズに、グリーン・ジャケットを着せる役回りとなってしまった。しかし、この年にファルドはセベ・バレステロスと共に世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。トラッドと云えば一般的には「英国トラッド」と「米国トラッド」がある。米国トラッドには、ポロプレーヤーのロゴで人気の「ポロ ラルフ・ローレン」がある。ボタンダウンシャツを最初に造った「ブルックス・ブラザーズ」も米国企業だし、これを参考にして日本に持ち込んだVANの「アイビーファッション」もある。しかし、源流は英国トラッドなのである。ブレザーにしても、英国が誇る名門校ケンブリッジ大学とオックスフォード大学の、対抗ボートレースでケンブリッジの選手が着た、燃えるような赤いジャケットがシングル・ブレザーの語源と云われている。BLAZEとは英語で「燃えるような」という意味だ。ダブルのブレザーも、英国海軍の軍艦ブレザー号の乗組員が着たネイビーブルーの上着が起源とされ、どちらも英国発祥なのだ。
英国トラッドの代表的なブランドを挙げてみよう。エジンバラ公、エリザベス女王、チャールズ皇太子と3つのロイヤルワラントを受けている「DAKS」。日本で最も知名度が高い老舗ブランド「バーバリー」。英国のダンディズムを具現するブランドで、映画カサブランカのハンフリー・ボガードが着込んだトレンチの「アクアスキュータム」。伝統的なアイテムに遊び心を加えて、新しいスタイルを築いた「ポール・スミス」。喫煙具や文房具でも有名な「アルフレッド・ダンヒル」。エリザベス女王や故ダイアナ妃のドレスを仕立てた「ハーディー・エイミス」アウターの「マッキントッシュ」など多くのブランドがある。
英国の老舗ブランドが不思議なほど共通しているのは、穏やかな感じと目立たない上質さ。
大人の紳士・淑女が身にまとって、本物を実感できることではないだろうか。英国のファッションブランドの中でも、最も古い歴史を誇るプリングルも然りである。
プリングルでは06−07A/Wより、新たにクリエイティブ・ディレクターのポストを設け、クレア・ウェイト・ケラーが就任した。ケラーはセントラル・セントマーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインと、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業後、カルバン・クラインに4年間在籍し、ラルフ・ローレン パープル・レーベルの、メンズウェアー・デザイン・ディレクターや、グッチのシニア・デザイナーも努めた経歴があり、プリングルのクリエイティブ面をすべて統括する。又、同時期にシモーナ・キアッチがアクセサリー・チーフデザイナーに就任。キアッチもトッズやアルマーニ、グッチ等で経験を積んでおり、プリングル復活の陣容が整い、これから巻き返しが始まろうとしている。
年齢を重ねて初めて判る、トラディショナルなファッションの味わいが「本物が判る層」には頼もしく感じる。近頃は上質感や伝統の重みに、改めて惹かれる大人が増えている。
ゆっくりと、しっかりと振り子の針が、英国トラッドに戻り始めている。
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