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有楽町阪急の地下一階に福助が同社初の直営店を9月にオープンさせた。おしゃれな柄のストッキングを履いたマネキンの足が長い壁面にズラリと並び、主婦や勤め帰りのOL達で賑わっている。株式を一部上場する大企業の福助は、昨年の6月に民事再生手続きを申請した。 同社は明治15年に足袋装束店丸福として創業し、大正8年に福助足袋として法人化した。昭和24年に上場し、全国的に知られた老舗靴下メーカーである。全国主要都市に支店や営業所を設け、全国の有名小売店やデパート、スーパーを対象に商品を卸し、ピーク時の平成4年3月期には895億円の年商を誇っていた。 近年は消費不振に加え、スーパーの長崎屋、そごう、丸正、マイカルなどの破綻で多額の不良債権が発生し、売り上げも平成15年3月期はピーク時の約半分の496億円まで落ち込み、有価証券の評価損や不採算事業の撤退費用が嵩み債務超過に陥っていた。単独での事業継続を断念し、民間の企業再生ファンドMSKパートナーズに経営を委ねることとなった。
福助の再建はスピード感が増している。伊勢丹でカリスマバイヤーとして鳴らした坊主頭で髭面、44才の藤巻幸夫氏が、MSKパートナーズから新生福助の社長として再生を託された。大阪・堺の旧本社を訪ねた藤巻は、社員に元気が無い、社内が汚い、そして在庫の山に驚いたという。藤巻は徹底した現場主義を掲げ、自信を失いかけた約三百人の社員に福助再建の思いを語り続けた。 社内を歩き回っては社員に声を掛け、時には怒声を響かせ、週末には仕入先の工場や販売先のデパートなどにも足を運んだ。雲の上の存在だった社長が、一緒に頑張ろうと言う藤巻の言葉に、社員は驚きの連続だった。福助を世界に通用するブランドにすると燃える藤巻は社内の意識改革から着手した。本社をファションの拠点である東京・原宿に移転、提携先の海外ブランドから福助ブランドへの展開、広く親しまれた福助人形のロゴマークの刷新、高級ブランドのエルメスから人材のスカウト、28才の女性をストッキングの部長につけるなど、矢継ぎ早に再建策を実行した。法的整理で傷ついたブランドイメージを一新するために、藤巻は動く広告塔として奔走し、講演を毎月10回前後も引き受け、テレビや雑誌の取材にも頻繁に登場している。果敢に攻める情熱は、長い歴史に胡座をかいた社員達の心を変えていった。本格再生には課題も多いが、意識改革と再建計画は着実に進んでいるようだ。
11月27日の新聞にミサワホームが産業再生機構に支援要請する方向で最終調整とあった。ミサワホームは東証一部上場の大手住宅メーカーで、1967年に設立され1971年にはプレハブ住宅の販売戸数でトップになるなど急成長した。リゾート事業などバブル期に多額の負債を抱え、UFJ銀行から二度の金融支援を受けていた。産業再生機構の支援が決定すれば、UFJ銀行は大手スーパーのダイエーやマンション分譲の大京などと並び大口融資先7社の再建に概ね目処がつくことになる。支援企業にはトヨタが候補に挙がっている。昨年4月に住宅販売部門を分離したトヨタホームの営業力強化と、ミサワホームのトヨタを後ろ盾とした信用力の回復を期待している。ミサワブランドを再構築するには、信奉者も多いカリスマ的な創業者である三沢千代治氏の影響力排除も含め、再建計画の透明性を高めるためには再生機構の活用が不可欠と判断しているようだ。ミサワホームの再建は今後の展開に期待したいものだ。
日本の金融機関の不良債権処理は、引当金を積むだけの処理から、経営不振企業を再建して不良債権を健全債権に格上げする方向が加速されている。公的資金を活用する産業再生機構に経営を委ねて企業再建を目指したり、民間の企業再生ファンド等を活用して企業再建の流れを作り、その流れを後押しして銀行本来の業務に徹しようという動きだ。企業再生ファンドは銀行などの機関投資家から資金調達をし、経営不振企業に投資する。株式取得や営業権譲渡により、経営権を握り経営再建に取り組む。最終的には株式の上場や他企業へ売却して利益を得る。投資に失敗すれば資金が回収出来なくなるリスクはあるが、成功すれば15〜20%のリターンは可能だと云う。一つの企業再建に成功すると金額が大きいので、15〜20%のリターンでも莫大な利益になるという。このような企業再建の動きで、バブル崩壊後に日本経済を悩ませ続けた不良債権問題に、やっと処理の目処が建って来た。前述しているミサワホーム、ダイエー、大京、それに化粧品のカネボウや奥日光のホテル四季彩など再生機構の支援が実を結ぶ事を期待したい。
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