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何気なく楽天市場を覗きに行った。「人気の・・、レアもの・・、話題の・・」などの言葉が並び「お気に入りの商品、お目当ての商品がある場合は品切れになる前にお早めにチェック!!詳しくは画像をクリックしてください」とあり、クリックして画像を見ると、若い女性の胸の膨らみの処に、あの傘マークがあった。確か!あのワンポイント・マークはおじさんマークだったはず。昔はゴルフ好きのおじさん達が、一度は袖を通したくらい人気があったブランドだったが、何時しか大型スーパー衣料品売場の、バーゲンセールでも見掛けるようになった。その後は、身に付けてゴルフに出かけるのも、何となく気恥ずかしい気持ちになってしまった傘のブランド・マークであった。
ゴルフ用品のビジネスにも関心の有ったアーノルド・パーマーは、1961年に仲間と共に傘マークのブランドを立ち上げた。1968年にレナウンが国内の製造販売に関する権利を取得し、ワンポイント・マークのブーム先駆けとなった。当時レナウンはイエイエ娘と称する若い女性達に、最先端の流行ファションを身に付けさせ、レナウン・ルックと呼ばせて大当たりしていた。この頃にフェアウェイを笑顔で歩くパーマーの、テレビコマーシャルを記憶している人達も多い事と思う。パーマー・ブランドは大好評を得たが、バブル崩壊後には傘のマークも下降線を辿り、街では見掛けなくなった。同時にレナウン再生への苦闘が始まった。
アーノルド・パーマーは、プロゴルフを商業ベースに乗せた最大の功労者である。総資産は数百億円に上ると云われ、自家用ジェット機から管制官と、会話をするのが趣味だと云う。パーマーは1929年にペンシルベニアで生まれた。7才でゴルフを始め、25才で全米アマに優勝してプロの世界に入った。マスターズ、全米オープン、全英オープンとメジャータイトルを獲得し、60年代のアメリカン・ドリームの具現者の一人だった。「下手だけど上手」と矛盾した表現をされるプレーぶりは、力一杯ひっぱたくドライバーは左右に曲がり、ダメかと思えば正確なリカバリーショットを打ち、数多くのビックタイトルを手中にしてきた。アマチュア・ファン達は自分たちもトラブルショットさえ上手く打てれば、パーマーのように成れるかもしれない。そんな夢を与えるプレーが世界中にファンを獲得した。攻撃的なパワフルプレーはアーニーズ・アーミーというファン軍団を形成した。アーニーとは彼のニックネームである。残念ながら全米プロ選手権だけはノンタイトルだった。
「アーニー・アーノルド・パーマー」はブランド戦略を大幅に見直し、数年前からターゲットを、ヤングレディースに切り替えた。上品でカラフルなロゴと傘マークの入ったデザインは、昔を知らない若い世代には新鮮に映った。販売も全国のデパートなどから、全国にあるパルコやルミネのような、ファションビルで直営販売するようにした。今は33店舗を展開するまでになっている。価格も比較的所得が高いおじさんゴルファー達から、若い世代をターゲットにして、彼女たちのお小遣いでも買える価格帯にした。ショップではカラフルなデザインの、ロングTシャツや化粧手提げ、刺繍入りのバッグなどが3〜6千円位の手頃な価格帯で売られている。傘マークのゴルフウェアーは、おじさん族のステータスでもあったが、ヤング世代にはファションの格好良さを強調した。ヤング世代はパルコやルミネに行くのも、そこで買い物をするのも、買い物をしたときに貰うペーパーバックを、ぶら下げて渋谷や新宿などの繁華街を、歩くのもファションなのである。携帯メールで友人と情報交換をし、ネットでレアモノを探し、掲示板に書き込みをして、自分が情報源になるのもファション。ネットで買い物をし、カード支払いでキャッシュレスの生活をするのもファションなのだ。この世代が新アーニーズ・アーミーとなったのだ。レナウンでは次のターゲットとして、20才半ばの男性に「アーノルド・パーマー・メン」を展開。30才前後の男女には大阪・ダイヤモンドシティプラウ1Fに「アーノルド・パーマー・タイムレス」を10月28日にオープンさせた。おじさん族には無い、若い世代のファション感覚や行動が時代を進化させている。新アーニーズ・アーミーがレナウン復活の起爆剤になる事を祈りたい。
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