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4月はじめ、衆議院議員統一補欠選挙に立候補していた、山崎 拓首相補佐官の応援に駆けつけた小泉首相は、福岡市内での応援演説の中「福岡県産のイチゴ 甘王 が台湾や香港で売れている。今後は農業も世界市場に出て行くべきだ」と強調。道路公団の民営化、郵政民営化に続き農政の改革を推進し、構造改革の底辺を拡大していく姿勢を打ち出した。輸入規制や助成金交付による保護政策から、海外でも競争力のある農産物の生産を促し、攻めの農政で活性化を図りたい考えだ。小泉首相としては民主党が先の参議院選挙で「農林漁業再生プラン」を掲げて農村部に浸透を謀っており、農村部の自民党離れも意識した発言だ。又、アジア諸国などとの自由貿易協定(FTA)においても農産物分野が交渉の問題になるような事態を防ぐ思惑もある。2月には農水省の農産物輸出の数値目標、10年間で概ね3倍の案を時間が長すぎるとして拒否し、「日本の農業は発展していく可能性のある産業」として、石原農水次官に農産物輸出を5年で倍増させる目標を指示している。03年の農産物輸入額は4兆4千億円、輸出はわずか2千億円となっている。日本は世界最大の農産物輸入国である。5月17日に閣議決定された「食料・農業・農村の動向」(食料白書)では、03年の農家戸数は98年に比べ13%減少している。今後も農業生産の中核を担ってきた中高年齢者の離農が進み、耕作農地の集積化などの構造改革が急務としている。日本は先進諸国のなかでは食料自給率が、カロリーベースで40%と最も低い。食品産業と農家の連携や、食の安全性をはかる政策を取り入れ、消費者ニーズに添った取り組みが必要だとしている。
最近の食品メーカーのコマーシャルや、マスコミの食に関する記事を見ていると、食品に関する安全と安心について、混同している事例が多く見られる。安全とは「供給者側の論理」であり、「結果論」である。安心とは「消費者側の心理」である。5月17日に島村農林水産相は、04年度農業白書を閣議に提出して了承された。白書では消費者の多くが国産農産物の安全性や品質を評価しており、輸入農産物よりも割高でも買いたいとしている声が多いと指摘した。国産品への消費者の関心を、更に高めるような販売戦略を展開することが、農業の活性化に必要であるとしている。白書によれば、8割の消費者は輸入品よりも高くても、国産の農産物を買うとしている。1割の消費者は国産農産物が、3割高くても買うという。しかし、野菜を例にとると多くの品目が、3割以上高いとの統計がでている。03年農水省調べでは輸入価格を100とした場合、ニンニク400、ホーレンソー300、ゴボー250、生シイタケ・ショウガ200、ミニトマト・ブロッコリー150などとなっており、パブリカやタネネギ、カボチャなどが概ね100で競争力を保っている。白書はまた、食料品を買う際に消費者の半数は品質の良さの目安として、ブランドを重視していると指摘した。生産地の地名を冠した松坂牛や魚沼産コシヒカリなど高品質の農産物を積極的に生産・販売していくことを提唱している。
小泉首相の肝いりで設置された「知的財産戦略本部」(本部長 小泉首相)の日本ブランド・ワーキンググループ(座長 牛尾治朗 ウシオ電機会長)では「魅力ある日本を世界に発信 日本ブランド戦略の推進」の提言を2月25日に取りまとめた。目標の一番目には「豊かな食文化を醸成する」として「民間が主体となって優れた日本の食文化を評価し発展させる」「食育や安全・安心と正直さが伝わる食材作りの推進により、日本の食のブランド価値を高める」「調理師養成施設、料理業界、大学等は食を担う多様な人材を育成する」「日本食に関する正しい知識や技術を広く普及し積極的に海外展開をする」として四つの提言をまとめた。二番目の目標にも「多様で信頼出来る地域ブランドを確立する」として「生産者、観光業者、大学等の連携により地域ブランドづくりに戦略的に取り組む」「農林水産品に関する基準を整備・公開し、消費者に信頼される地域ブランドをつくる」「地方自治体と産地が一体となって効果的に情報を発信する」「地域ブランドの保護制度を整備する」としている。三番目の目標では「魅力あるファションを創造する」として同様に四つの提言がまとめられた。
農政を置き去りにしてきた政治家や、農政を利用してきた団体などには、「何を今頃」との感は拭えない。所管省が作る農政に関する各種統計等は何のための資料なのか。立法府で仕組みをつくっても実施段階で魂が入っていない。手段が目的と化している。今から45年も前から、農家と農政の最前線にいる農協職員や農業改良普及員が一体となり、20年の歳月を掛けて生み出した成功事例がある。果物の超高級ブランド「夕張メロン」である。昭和25年頃「石炭の町 夕張」は朝鮮特需に沸き、夜も明かりの灯った人口10万人の豊かな町だった。特需が終わると共に炭坑労働者達も去り、近郊の農家は極貧の状態に陥った。夕張山系に囲まれた盆地で、畑は火山灰の痩せた土地、寒暖の激しい気象条件だった。収穫出来る作物は夏野菜などの、限られたモノしか採れなかった。昭和35年、農業改良普及員にメロン栽培を勧められ、17戸の農家は自分たちの死活と地域の存亡を賭けてメロン作りを決意した。その頃わずかに生産されていたスパイシー・カンタローブは香りも良く、オレンジ色の果肉で見た目には良かったが、砂糖をかけるほど甘みが足りなく、売れるような代物では無かった。これを改良して新たな品種を作れないかと、交配するための種子を探して全国を辛苦の思いで駆け廻った。アールス・フェボリットと巡り会い、交配して「夕張キングメロン」と名付けた、ネットの美しい一代雑種を創り出した。育苗も経験不足から来る設備の不備、温度管理の難しさなど栽培は困難の連続であった。ビニールハウスで寝泊まりまでしながら、苦節10年もの期間見守り続けた。昭和45年、育て上げたメロンを漸く東京に向けて出荷出来るようになったが、出荷時期や輸送手段の拙さからクレームの連続であった。それから更に10年の歳月を掛けて産地直送システムを築き上げた。関係者達の執念が産直ビジネスを成功に導いたのだ。生産農家の願いと、それを支えた農協職員、農業改良普及員が一体となって、品種改良、品質管理、産地直送システム作りなどの農業技術を完成させた。超高級ブランドである「夕張メロン」は、夕張農業協同組合が持つ商標で、夕張農協の組合員でなければ、このブランドを使ったメロンを出荷することは出来ない。5月16日、札幌にある札幌中央卸売市場で、今年の初競りが行われた。最高級品は過去最高額の一玉30万円で落札されたという。インターネット・オークションに出品するため、千歳市の土産物店が二玉を落札。出品に先立ち千歳空港で二玉60万円の、値札が付いて土産店に並べられた。旅行客は「食べてみたいけど、見るだけだネ」アイヌ語のユーパロ(鉱泉の湧き出るところ)が転化したといわれる夕張市は北海道のほぼ中央に位置し、面積は763平方キロメートル、人口14000人、商工業者数880人、小規模事業者数600(平成16年3月現在)の町へと変貌した。黒いダイヤと云われた石炭で潤った街影は消え、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」のロケで使われた廃屋が当時の隆盛を偲ばせている。現在では人口も減ってしまったが、メロンと観光、映画のロケ地として全国の廃坑がある街の中では一番活性化している街となった。
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