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05年4月20日、青山通りと表参道交差点角に「表参道の門」になりたいとの思いを込めて、「サマンサタバサデラックス表参道GATES店」がオープンした。サマンサタバサジャパンリミテッドの路面店である。総面積350平米、1階はバッグ、2階はバッグとジュエリー、3階はメンバーラウンジのリラクゼーションスペース「セレブリティ・ティールーム」がある。5階にオープンしたヤマノビューティメイトが経営するエステサロン「FACEプラス」では「サマンサタバサリゾート」としてメンバー用のサービスが受けられる。内装は京都の嵐山駅や恵比寿のシャトーレストラン「ジョエル・ロブション」などを手がけたインテリア・デザイナーの森田恭通が担当、外壁の黒御影石のエッチングは桐島ローランドが撮影した写真が使用されている。屋上にはプロモーション・モデルを起用した広告やニュースなどを掲載できる3面の大型ディスプレイがある。ヴィトン、グッチ、セリーヌ、プラダなど多くのブランド・ショップが出店している表参道の中でも、ひときわ目立つサマンサタバサの旗艦店が船出した。サマンサタバサジャパンの製品は「サマンサ・タバサ」「サマンサ・タバサ・ニューヨーク」「サマンサ・ベガ」「バイオレット・ハンガー」「ダーリン・ダーリン」と5つのブランドラインで構成されている。
サマンサタバサジャパンのバックやジュエリーは、鮮やかな色使いと豊富な品揃えが特徴で、20代の女性に大人気を博している。ブランド・イメージを高めるための演出として、若い女性セレブとのコラボレート戦略をとっている。サッカー界のスーパースターであるデビット・ベッカム夫人で、歌手のヴィクトリア・ベッカムとは、彼女のデザインしたバック「サマンサタバサ byヴィクトリア・ベッカム」のブランドを展開しており、新宿の丸井には大きなポスターがはられている。人気モデルのSHIHO(しほ)の、デザインしたバックは「サマンサタバサトラベル by SHIHO」、ジュエリーは「サマンサティアラ with SHIHO」のブランドで展開。彼女のサインもプランタン銀座の、サマンサタバサ・ショップの壁に掲げられている。サマンサタバサの大ファンと公言している歌手の、ビヨンセや、CanCamモデルの蛯原友里も人気バックや、ジュエリーのプロモーション・モデルを努めている。世界で名高いホテル王のヒルトン家、創業者の曾孫にあたる姉・パリスと妹・ニッキーのヒルトン姉妹がプロモーション・モデルとして表参道GATES店の、オープンに合わせて4度目の来日をした。パリスはジュエリーの「サマンサティアラ」、ニッキーは「サマンサタバサニューヨーク by ニッキー・ヒルトン」バックのデザインを手がけている。世界的に有名な歌手やモデルをプロモーションに起用し、彼女たちに商品をデザインさせ、若い女性達に憧れと身近さを演出。起用するセレブのバブル度は驚くばかりである。ヒルトン姉妹をイメージ・モデルに起用して以来、海外メディアの反応は急速に広がっており、セレブとのコラボレート戦略は確実に成功への道を歩んでいる。
『サマンサはカールしたブロンド・ヘアがとっても可愛い、若くてチャーミングなアメリカ娘だった。夫となるダーリンと出会い恋に落ちた。二人は結婚し、甘い結婚生活を始めるが、慣れない家事や夫の希望は難題ばかり・・・。しかし、サマンサは途方に暮れると鼻をピクピクとさせて・・・何でも上手に片づける事ができる魔女だったのだ。ダーリンを愛していたサマンサは、自分が普通の人間の妻になることを望み、自分が魔女であることを打ち明けた。ダーリンはサマンサの云うことを信じなかったが、いつしか自分の妻が魔女だと理解するようになった。娘のタバサが生まれ、ダーリンはサマンサが魔法を使うのを快く思わなかった。サマンサも今後決して魔法は使わないとダーリンに約束したのだったが・・・』60年代半ばからアメリカABCネットワークで放映され、日本でもTBSテレビから放送された「奥さまは魔女」のストーリーだ。サマンサの可愛い新妻ぶりが大反響を呼んだコメディ・ドラマでアメリカでも多くの賞を得た。サマンサ役は「花嫁の季節」「恋人よ今一度」などの名優ロバート・モンゴメリーの娘、エリザベス・モンゴメリーが演じていた。日本語の吹き替えは、往年のアニメで女王と呼ばれた北浜晴子が担当した。ダーリンは柳沢真一、タバサは桂 玲子だった。
サマンサタバサのブランド名は「奥さまは魔女」のチャーミングな主人公サマンサと、その娘タバサに由来。ビジネスは「魔女のマジカルエレガンス」をコンセプトにしている。社長の寺田和正は65年に、3人兄弟の次男として広島県に生まれる。祖父の代から会社経営をしていた父に、跡を継ぎたいと申し入れるが否認される。しかし、起業したいとの思いは強く、カナダ留学時代には革ジャンパーの、イージーオーダー・ビジネスで数千万円を売り上げる。大学卒業後は2年半ほど商社に勤務する傍ら、ビジネスに対するノウハウを次第に身に付けるようになる。バブル崩壊直後の94年、バックとジュエリーの企画・製造・販売の「株式会社 サマンサタバサジャパンリミテッド」を立ち上げる。29才の寺田は海外バックの輸入販売を手がけたが、取引先を大手商社に奪われ、店舗や売場の確保にも辛酸を舐めた事もあったようだ。徐々にファション雑誌などに取り上げられるようになり、次第に海外ブランド品と戦えるようになった。その後は次々と店舗を増やし、現在は全国に77店舗を展開。前年の売上は100億円を突破し、国内有数のブランドに成長した。寺田社長は「若い女性が喜ぶ時の姿は、すごく夢がありますよね」「うちのバックを見たときに“かわいい”と云っている時って、多分バックを見ているんじゃ無いんですね。それを選んでいる自分が“かわいい”とか、それを見ている友達が“かわいい”と云ってくれるとか、“この機能良いですね”では無いんですね」と語っている。つまり若い女性はバックそのものだけでなく「憧れのセレブ達を身近に感じられる夢」や「自分を可愛いと思わせてくれるモノ」を買っているのだ。セレブを起用したデザインとプロモーション、女心をつかむ経営哲学こそが急成長の源泉であり、日本発世界市場を目指す「サマンサの魔法」である。
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