日本ではバブルが絶頂期を過ぎた 1997年頃迄、消費者は欲しいモノがいっぱいありま
した。つまり、空腹の状態だったのです。お腹が空いていれば、美味しいか不味いかは二の次で、人間の本性丸出しで、とにかく食べたがる。欲しいモノがいっぱいあったのです。
45年の終戦とともに復興が始まり、65年頃からは高度経済成長の波に乗るようになった。
ちょうどこの頃から戦後に生まれた団塊の世代達が、中学を出て就職するようになり、高校や大学に進んだ人達もやがて安い労働力として労働市場に流れ込むようになりました。その上の世代は安い賃金の部下を大勢持つことになり、結果として労働生産性が向上して会社の業績は上昇カーブをえがき、社員も会社利益の恩恵を享受するようになった。
団塊の世代達も徐々に所得が増え始めると消費を牽引し始めた。それまでの若者達の消費は本やスポーツ用品、多少余裕のある家庭でもギターくらいだった。東京オリンピックを契機にテレビの普及が加速したことで、東京で起きていることが全国津々浦々まで情報が知れ渡るようになった。アイビールックなどのファションやステレオにオートバイなど欲しいモノが次々と出てき。た社会全体が消費を謳歌するようになり給与所得も増え続けた。
国内景気は所得を押し上げ、家電製品は飛ぶように売れ、ファミリーカーと呼ばれるクルマも売れ出した。家電製品の普及で家事が軽減された主婦のパート勤務も増え始め、さらに安い労働力人口が膨らみ、品質の良い家電製品や自動車の輸出は絶好調で日米貿易摩擦にまでなったが、右肩上がりの経済が永遠に続くことを誰もが信じて疑わなかった。
85年にプラザ合意があった後の経済はさらに加速し、バブル景気へと突入して行った。
給与所得というフローだけでなく、土地や株式というストックも驚異的な値上がりが続き、
瞬く間に国民は満腹状態になったのです。そして 90年後半にバブルの泡は破裂し 93年末まで景気の下降が続いたが、政府は国債を発行して経済を支え、会社は過去の積立金を吐き出して雇用を守った。 94年から 97年央の景気回復過程で企業はやっと一息ついた状態だったが、国民には経済の仕組みが激変したことの認識は希薄で、まだまだ欲しいモノを買い漁っていた。その後の 99年までの景気下降局面になって、国民はやっと事の重大さ
に気がつき、消費は考えながらする事を学んだ。
89年11月9日に「ベルリンの壁」が崩壊した。戦後ドイツは連合国(米・英・仏・ソ)
によって分割統治された。東ドイツの中に飛び地としてあったベルリン市も分割統治される事になった。東側をワルシャワ条約機構の盟主であるソ連の統治領域とし、西側を北大西洋条約機構の米・英・仏の統治領域とした。この統治領域の境界線上にベルリンの壁が構築されていた。分割統治後間もなく、米・英・仏の自由主義陣営とソ連をはじめとする社会主義陣営が対立する冷戦になっていった。やがて経済的に疲弊した社会主義陣営と経済的に発展した自由主義陣営との格差を、情報の発達により知る事となった東欧の諸国民の不満は鬱積し、解放への気運が高まっていった。
「決して越えることの出来ない障害や、永遠に解決する事の出来ない問題」の喩えとして使われた「ベルリンの壁」が崩壊した事で東西の冷戦も終結を迎えた。
冷戦の終結を機に東欧諸国は、国の基本的体制はどうであれ、経済的には自由化への方向となり、軍事費の軽減や西側からの支援も相まって経済復興へと走りだした。同時に西側先進諸国の生産基地として低コストの労働力の供給が始まった。
一方、中国では共産主義体制の中において解放経済を推進した。返還された香港では特別行政区として資本主義制度を認める「一国二制度」を取り入れ、政治体制は別として経済の面では自由化の方向へと進んでいる。そして現在では世界最大の生産基地国となった。
さらにシンガポール、タイ、べトナム、インドネシア、フィリピンなども続々と生産基地国として名乗りを上げている。特に人口が 9億人とも言われているインドはイギリスの影響を大きく受けて民主化が進んでおり、小学校からの英語教育で言葉の障害も無く、世界のIT関連マーケットではインド系の技術者がいないと成り立たないのが現状である。
これら低コストの生産基地が出来た事で世界経済が激変した。日本の産業界も低付加価値の生産は全て中国を始めとする海外生産に切り替えた。
国内では年功序列型の賃金体系は完成したと思った時には音をたてて崩壊しはじめ、余剰人員のリストラと成果重視の賃金体系への移行、土地・建物・機械などの余剰設備の廃棄、そして土地や株などのストックの値下がりなどで不良資産が発生した。
企業の不良資産を担保としていた金融機関には公的資金を注入せざるを得ないほど国内経済は病んだ。これらのバブル崩壊の後始末をする過程で、フローの増加と優良ストックを持つ会社や人達と、それを持たざる会社や人達との間で二極化が顕著になった。
経済活動のグローバル化に伴い、企業は事業活動の効率化に情報技術の導入に猛進した。このIT化の波に乗れた会社や人達、乗り遅れた会社や人達にも二極化が加速された。
雇用問題に関しては産業構造の変化にともなう就業労働者の再配置による流動化と、就業者の労働付加価値と賃金の是正であって、避けて通れない調整過程でもあったのである。 最近の報道を見ていて思うのは貧困層が増えたので消費が落ちているとの論調である。
マスコミは過剰反応と云うか誇張しすぎている面がある。何年か前までは一億総中流と云われていた。現在の二極化は時代の変化に適切に対応できた勝ち組と中流層の二極化である。負け組と云われる人達も中流層であり貧困層では無いのだ。
企業の廃業・倒産が多かったのも事実であるが、時代に合わなくなった町工場を廃業し工場跡地にマンションを建て、一階部分をコンビニに賃貸したりして上手くやっている中小企業はたくさんある。しかし、傍目からは町工場が倒産したような話になる。
何時の時代にも多少のアクシデントはあり、総じて見ると企業も国民も時代の変化に適切に対応しており、産業再生機構入りした大企業も過去の悪い膿が露呈した場合が多い。
現在の物価はバブル期からみると大幅に下がっている。サラリーマンの昼食はコンビニのおにぎりとお茶なら300円で済み、生活必需の衣類や家電品は中国製の低価格品が出回り、100円ショップではかなりのモノが揃う。パソコン関連の商品も性能比の価格では驚くほど下落しており、住宅ローンの金利は下がり、賃貸アパートの家賃も下がっている。
給与所得の減少ばかりが誇張されるが、実質の可処分所得は増えている人達も多いのだ。
現在は世帯数よりも住宅戸数の方が多い。これからの若い人達は団塊の世代が掛けた住宅取得コストよりも極端に少ないコストで住宅が持てる。夫婦双方の親から住宅を相続して一棟は田舎に別荘として使用する場合もあり、貯蓄に廻す分が多少減っても大丈夫だ。
少子高齢化社会を迎えて社会保障の論議も活発になり、高齢者の老後不安からの消費不振も伝えられるが、最近の新聞社会面を見ていると大多数の高齢者の貯蓄は心配無い。
消費不振は国民にお金が無いのではなく、買いたくなるモノが無いだけで、国民は普段の消費に廻すくらいの蓄えは皆が充分持っているのだ。
最近では家電製品が無くて不自由している家庭など聞いた事がない。どこの家庭でもタンスの中には流行さえ気にしなければ、消耗の激しい下着類を別にすると、着られる衣類が
3年分は眠っていると云われる。特に中高年層の家庭では冠婚葬祭や季節の挨拶代わりに
貰うタオル、シーツ、食器類など普段使わないモノが押入れで山になっている。
誰もが我家は狭いと云うが、裏を返せばそれだけ家にモノがたくさん有ると云うことだ。
一般家庭では必要なモノは既にたくさん持っており、買う必要のない飽食の時代なのです。 飽食の時代と云われていても、売れているモノや売れている店は多くある。東京駅や羽田空港ではヴィトンなどのバックを持っている人達を大勢見かける。有名ブランドのファションを身につけている人も多く見かける。若い女性でも少し背伸びをすれば買えるのだ。
外食に出た時などは、どんなに沢山食べても食後に好きなテザートが出てくると、美味しく食べられて幸せな気分になれる。お腹が一杯でも別腹と云って入る処が別に有るからです。お金に余裕のある人達にとって、既に同じようなモノは持っていても、もう少し違った何かを欲しい別腹を満足させるのがブランド品なのです。
スーツだって何着も持っているのに、数年前から 3つボタンのスーツが流行りだして買った人も多いと思います。スーツを新調するとそれに合う靴やバックも欲しくなってきます。
スーツや靴の流行を作り出すのは、言い換えれば消費者の別腹を作りだしているのです。
ネクタイ業界は不満のようだが、最近のクールビズ・ファションも同じ事が云えます。
グッチやプラダ、エルメスのバックなどはよく売れており、レアモノと云われるモノは一年待ちなど普通だと云う。デザイナーズ・ブランドのファション衣料も大変良く売れており、ショップに行くと大変な賑わいである。銀座や表参道には有名ブランドの旗艦店が続々と出店し、今年の土地の公示価格では周辺地価を押し上げるくらい絶好調です。
飽食の時代では価格の高いブランド品を、喜々として買っている消費者が多いのです。
満腹社会ではブランド商品そのモノの機能価値にプラスされた、自己を満足させる付加価値にお金を払っているからです。
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