ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 64

☆ 伝統とは革新の連続☆

2005.08.30号  

 1467年に応仁の乱がおこり、各地では国一揆や一向一揆の戦いが続き下克上の時代となった。1543年にはポルトガル人が鉄砲を伝え、1549年にはザビエルが鹿児島に上陸してキリスト教の布教が始まった。そんな戦国時代中期の1489年、政争と人事に疲れ果てた将軍足利義政が京都郊外の東山に銀閣寺を建立した。銀閣寺に蟄居した義政は地味だが奥行きの深い趣味として茶道と出会い、一部粋人達の間にも趣味道楽として広まった。
当時の茶道は単にお茶を点てるだけでなく、茶室の設計内装や掛け軸、生け花から料理、菓子、踊りなどの接客余興まで、お茶を楽しむための全てが演出された。
このような世相はのちに東山文化と呼ばれるようになった。
織田信長が足利義昭を京都から追い出し、室町幕府が滅び安土桃山時代になってからもこの文化は継承された。信長や秀吉は戦場においても茶室を造り、茶を点てて楽しんだとされる。次第に茶器などにも趣向が凝らされるようになり、すでに道を極めていたとされる千利休が褒めただけでも築城するくらいの価格になった茶器もあったと云われる。利休自身も利休の目に叶った茶器類もブランド品となり、その後も表千家や裏千家として、現代までブランドのある組織として弟子達に受け継がれた。
元禄時代になり茶道は一般庶民にも広がり、お茶受けに食される和菓子にも影響を与えたとされ、ともに大きく発展することとなった。

 和菓子の老舗「虎屋の羊羹」は和菓子のトップブランドである。虎屋は東京の会社と思われているが、本店こそ東京に移ったものの、虎屋の暖簾は一度たりとも京都から消えた事はない。皇室の御用達としても広く知られているブランドである。
創業は定かではないが鎌倉時代の1241年からの歴史があり、室町幕府後期の戦国時代には「とらや」を名乗っていたとのこと。460年も前、ポルトガル人が種子島に漂着した頃の事です。1600年頃の当主黒川円仲が中興の祖と云われており、現在の黒川光博社長はそれから数えて17代目にあたるそうです。
歴史を見ると伝統というのは「守っていれば残る」という単純なことではないようです。
虎屋の和菓子に使用される小豆、砂糖、黒糖、寒天、葛などの原材料は、基本的には生産地や生産業者を指定し、厳選されたもののみを仕入れている。
和菓子に欠かすことのできない餡には北海道十勝産の小豆を使用しているとの事です。
北海道地方の本格的農業は明治中期以降、屯田兵が入植してから本格化しており、小豆の栽培はそのもっと後のはずです。虎屋が十勝産小豆にたどり着くまでの歴史が、代々の当主の品質に対する「革新の連続」の一端であることが偲ばれます。購入はホクレンを通じているが、一年に数回は購買担当者が生育状況や品質状況を現地で確認している。
砂糖は200年以上も歴史のある、徳島県の岡田精糖所に依頼し、四国在来のサトウキビのみを原料とした「阿波和三盆糖」を使用している。
長年の研究と試行錯誤のうえ厳選される原材料は、商品品質へのこだわりでもある。
和菓子の老舗である虎屋には「預かり型」と呼ばれる型があり、表千家や裏千家の家元などには年明けの初釜のような儀式に合わせて、預かり型で特別注文の和菓子を製造する。
虎屋には「預かり焼き印」という印もあり、叙勲の際に下賜される饅頭などに付けられている「菊の御紋」、大手財閥系企業などが記念事業の際に配られる紅白の和菓子に標される焼き印など数多くの顧客から預かっている。
虎屋では超優良顧客を多数持っているが、自らそれを語る事はない。語らずとも伝統と信用の積み重ねは、トップブランドとして消費者が充分に判っているからである。

 京都の料亭や小料理屋では初めてのお客を断る事がよくあるそうだ。巷で云う「一見さんおことわり」である。高慢な店と思われがちだが、反対に京都商法なりの顧客満足志向のあらわれなのである。板前さんが思うようにその日の食材を仕込む事が出来なかったり、その日のお客の人数によっては、限りある食材や人手でお客を満足させるもてなしが出来ないと判断した場合には丁寧にお断りをする。常連さんであれば多少の粗相は理解してくれるが、一見のお客では偶々不満足の結果になった場合は二度と足を運んでくれなくなり、悪い口コミが流布されるからである。京都の料亭や小料理屋の主人は初めてのお客を最高にもてなす事ができる自信があるとき以外は、一見さんお断りとするのである。
京都商法とは「いい商品を、その価値に応じた価格で、作れるだけを売る」商いです。
京都は室町時代から江戸時代まで日本最大の工業地帯でもあった。宇治茶の生産や西陣織、友禅染、清水焼きなどの伝統産業があったが、いずれも少量生産高付加価値販売に徹していた。京都に本社がある京セラ、ワコール、オムロン、ローム、日本電産、村田製作所などの経営を見ていると伝統的京都商法が息づいており、バブル崩壊後の長期不況でも堅実な成長をとげている。

 京都老舗「虎屋」の伝統的商法からブランド・マネジメントを学ぶ事ができる。
虎屋の羊羹はスーパーで売っている同様の羊羹の 5倍以上の価格です。これがブランドの持つ付加価値です。黒川社長は暖簾を維持する事を次のように語っている。
お客様に「今日は本当にいい買い物をした」と思って頂くためには
、「商品の品質だけでなく接客サービス包装お店の空間など虎屋を取り巻く全てのモノがお客様に満足して頂ける良いモノでなければならない」という信念で日々努力を重ねているとの事です。
デパートなどでの販売においても、パートの採用や販売店任せにはしないで、必ず自社の研修を受けた社員を店頭に立たせ、お客と対面販売をするようにしている。
買い物をしたときに商品を入れて貰うペーパーバックも、一見地味なデザインであるが、よく見ると商品を引き立て、歴史と伝統を感じさせる重厚な落ち着いた色合いである。
このような些細なことにもお客様や商品への心配りが感じられる。
虎屋では職人さんたちへの暖簾分けも禁じているという。安易な暖簾分けで500年近くもかけて培った信用にキズがつくのは許されないのだろう。
商品の価値を守るためには原材料を吟味して製造技術を高め、価格以上の商品価値をつけ、商いに対する考え方を確立し、従業員教育を重視し、商いのやり方も徹底遵守させ、店主も自ら厳しく身を律する。ブランド・マネジメントの原理原則である。
暖簾とか老舗とか呼ばれるお店も原理原則に従い、それぞれの時代に合うように変革し、何代も伝え続ける事が社会的評価、つまりブランドにつながって行くようです。
黒川社長が云う「伝統とは革新の連続である」とは深く重い言葉である。




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