1955年、政治的には自由党と日本民主党が合流して自由民主党となり、政権をけっして欲しがらない日本社会党が第二党となり、世にいう55年体制ができあがった年であった。
北海道の沿岸漁港付近では漁業で財をなした網元たちの「にしん御殿」とか「鮭ます御殿」
と云われる豪華な普請が建ち並び、夕張を始めとする炭坑のある街では「黒いダイヤ」で日本経済のエネルギーを支え活況に満ちていた。近隣の山々では復興経済から高度成長経済に向けて、木材の需要が引きも切らず林業も隆盛を誇っていた時代であった。
そんな北海道経済のなかで十勝平野に位置する池田町は、52年には十勝沖地震の被害に見舞われ、53年には2年連続の凶作で米や豆が全滅した。農家は自らの食料も十分ではなく、税金を払うにも窮し、町は財政再建団体に指定され、自治体失格の烙印を押されていた。
56年、農民運動を続けて農家の惨状を見ていた地元出身の丸谷金保は、故郷の窮状を救うべく立ち上がった。
意を決して町長となった丸谷金保は、町の財政再建に奔走した。丸谷は町内の山々に自生し、実をたわわにつける山ブドウをヒントに、「町全体にブドウを植え、町みずからワイン作りに乗り出そう」と、農村青年26人に提案し「ブドウ愛好会」を設立した。町再生の突破口と考えたワイン作りであったが、その道のりは想像を超えた厳しさだった。
丸谷は山梨県からブドウの苗木を取り寄せたり、農業化学科研究所長の指導を受けたり、池田町農産物加工研究所を設立したり情熱を傾けた。しかし、農家が植えたブドウの苗は、
池田の厳しい気候に耐えきれず壊滅状態となった。自生する野生の山ブドウを集めてワイン作りに挑んだが、果汁は発酵するどころか腐ってカビが生える始末だった。
丸谷は町民達から「ホラ吹き町長」とののしられ計画は頓挫してしまった。それを間近で見ていた農業振興係長の大石和也は、本場ドイツでの研修を提案し、自ら単身ドイツへ飛んだ。本場のワイナリーに住み込み、ワイン作りを初歩から学んだ。寒冷地のブドウ栽培法と醸造法を学ぶ一方、池田町に残った部下の横田益宏に寒冷地でも実のなるブドウの品種探しを命じた。苦難の末に寒冷地でも育つブドウを見つけ、池田の地名に因み「清見」と名付けた。
64年に転機が訪れた。ハンガリーで開催された「国際ワイン・コンテスト」で銅賞を受賞したことで活動に勢いがついた。ブドウの栽培、育種、品種試験、醸造の本格的体制を整えるため、池田町立ブドウ・ブドウ酒研究所が開設された。
67年に「十勝ワイン」の名称で市販を開始した。十勝ワインは希少性もあり、口コミも広まり「幻の十勝ワイン」と云われるようになり、ブランド品として扱われた。
ワイン事業が成長期に入ると、町はワインと連動した地域産品の開発にも乗り出すようになった。肉牛の生産を本格化させ、町営のレストランを開設した。町内にあるレストランでもワインとステーキが人気メニューとなり町全体が勢いづいてきた。
74年、丸谷は単身で補助金と本格的酒造の許認可取得の陳情に向かい、国と交渉の末にワイン醸造所を完成させ、ワインの量産体制を整えた。その外観から醸造所は「ワイン城」と呼ばれるようになり、一躍観光拠点としても脚光を浴びるようになる。
山小屋風の町営宿泊施設「まきばの家」やラベンダー栽培の「夢農場」、ハーブセンターの整備、牧場と直結したアイスクリームやチーズ等の乳製品など、官民あげて町を活性化する事に成功した。ワイン醸造所は池田町役場の直営事業である。
ドリームズ・カム・トルー(Dreams Come True)という音楽グループをご存じの方達も多いことと思います。通称ドリカムと呼ばれているそうです。ご存じない方でも、このグループの音楽は何処かで聞いているはずです。テレビなどでよく使われているからです。
89年3月、シングル“あなたに会いたくて”。アルバム“Dreams Come True”を同時リリースしてCDデビューしました。97年に所属していたエピック・レコードからヴァージン・レコード・アメリカへ移籍してアメリカでの活動に挑戦(国内販売は東芝EMI)。
03年初めヴァージン・レコードからマイナー・レーベルに移籍して活動していたが、TBSドラマ「砂の器」の主題歌になった“やさしいキスをして”をユニバーサル・ミュージックから発売してメジャー・レーベルに復帰した。(橋本 忍脚本、野村芳太郎監督の松竹映画「砂の器」は芥川也寸志作曲の“宿命”がテーマ音楽だった)
代表曲の“Love Love Love”はドリカム最大のヒット曲となり累計249万枚を売上、95年オリコン年間チャート一位を記録、歴代シングル・チャートでも10位を記録している。
TBSドラマ「愛していると言ってくれ」の主題歌になり、03年から英語版がホンダ オデッセイのCMに起用されていた。“うれしい!たのしい!大好き!”はセールス的には苦戦をしているが、ファンの間では根強い人気がある。グリコポッキーのCMソングに起用。
“笑顔の行方”はドリカムがブレイクした曲である。TBSドラマ「卒業」の主題歌に起用された。“未来予想図Ⅱ”は笑顔の行方とカップリング発売され、歌詞のイメージから卒業式や結婚式の定番ソングとなっている。“晴れたらいいね”ではNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」で唄入りの曲が初めて採用された。99年“朝がまたくる”01年“いつのまに”05年“何度でも”はドキュメンタリー・ドラマ「救命病棟24時」に採用された。
ドリカムの音楽はスケールが大きく、透明感があり、さわやかな癒し系の曲が多い。
ボーカルと作詞を担当している吉田美和は池田町出身である。北の大地で育まれた感性が曲のイメージを創っている。創作活動においても、無意識のうちに生まれ育った故郷に思いを馳せているのだろう。今では町だけでなく日本の若者達憧れの存在となっている。
池田町は1879年(明治12年)山梨県出身の武田菊平といわれる人が初めて入植した。
その後、本格的に開墾が始まったのは1896年(明治29年)に鳥取藩主の池田公爵による「池田農場」と、大資本家であった高島嘉右エ門の「高島農場」によって開拓が進められた。明治末期から大正時代にかけて、水害や冷害、病虫害などによる凶作が多く、苦境の連続の時代であった。このような苦難、苦闘を乗り越えた先人達と、開墾して築かれた肥沃で広大な土地が現在の池田町の礎となっている。
1899年(明治32年)「凋寒外13カ村戸長役場」が設置され、1906年(明治39年)「凋寒(シボサム)村」となり、13年(大正2年)「川合村」と村名を変更、26年(大正15年)には町制施行とともに、現在の「池田町」となった。
98年(平成10年)5月には開町100年を迎えた。
池田町は北緯42度55分、東経143度27分に位置し、総面積392平方㎞、世帯数4560世帯、人口8450人、町花はツツジ、町木はサクラとカシワである。
「ホラ吹き町長」の熱意が北の大地で「十勝ワイン」というブランドを生み、ブドウ栽培や小豆などの畑作と稲作のバランス経営で農業を立て直し、ワインを中心とした観光事業で町を興し、都会へ出ていった若者達には故郷を思うこころを育て、大石や横田らの職員達には自治体経営を教え、そして財政再建団体の町が再生された。今では北海道のなかでも数少ない元気印の町となっている。