鳥取県でナシが栽培されてから、昨年は100年になる記念すべき年であった。
1904年(明治37年)現在の鳥取市桂見で果樹園を経営していた北脇永治が、千葉県松戸市から二十世紀ナシの苗木を10本購入した。これが鳥取県の二十世紀ナシ栽培歴史の始まりであった。このうちの3本が現存し「鳥取県二十世紀ナシの親木」として、現在もみずみずしい果実をつけているという。
北脇永治は農村を貧しさから救うため、稲作に不向きな傾斜地でも栽培が可能な果樹栽培を広めた。自ら二十世紀ナシの苗木を生産して果樹園経営者に提供するとともに、二十世紀ナシ特有の病気である「黒班病」の防除にも取り組んでいった。
北脇永治を始めとするナシ栽培に関わった多くの先人達の研究や努力により、その名前のとおり「二十世紀」を生き抜いてきた果物である。
全国で生産される二十世紀ナシの50%は鳥取県産である。県を代表する名産品となっている二十世紀ナシは、日本の代表的な輸出農産物にもなっている。 政府は農林水産物等の輸出を5年で倍増させる目標を掲げている。農林水産省の指導で地方自治体、生産者団体、民間団体、企業等も含めた官民一体の取り組みとなっている。
海外市場の開拓、輸出志向の生産地の振興、流通体制の整備など、輸出支援体制の確立へむけて、昨年、今年と関連予算は前年に比べて大幅に増加している。
輸出促進につながる背景として、2国間や地域間の自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)締結促進が必要であること。アジアでは中間所得層の増加に伴い高級輸入食材の需要が拡大していること。日本の農林水産物等は「高価、高品質、安全、健康、カッコいい」というイメージでアジア諸国に受け止められていることがある。
この2年間の農林水産物等の輸出はアジア諸国向けに拡大傾向にあり、依存率も04年には76%にもなっている。とくに香港、台湾、中国の中華圏への依存度が高い。
農林水産物等の輸出促進は、これらの産業に関わる人達や企業に自信と勇気と活力をもたらし、産地の地域経済における振興にも大きな役割をはたしている。
国内市場価格に対する需給調整の側面もあり市況対策の効果も大きい。これらは既にリンゴ、ナシ、エノキ、長イモ等の輸出において効果が現れている。
5年で倍増という目標達成には、国内価格と輸出価格の引き下げによる価格競争力向上が求められている。輸出という「攻めの農業」を通して、高コストの国内農業から競争力の強い農業に転換して、日本の「農業を守っていく」ことへの政策的意図がある。 鳥取県倉吉市に「鳥取二十世紀梨記念館」がある。ナシの文化情報施設として平成13年4月に開館した。館内には樹齢74年になる二十世紀ナシの巨木が展示され、ナシとの関わりを料理や芸術の視点で紹介した「ナシと暮らし」のコーナーが設けられている。
ここには県内各地のJAが、産地の新しい品種や栽培技術の導入事例、ナシ作りに励んでいる名人や若い後継者達などを紹介している。安全・安心のナシ作りへの取り組みなど、鳥取ナシ作りの未来の姿を、写真やイラストなどを中心にしたパネルで展示されている。
そして観光客には一年中ナシの味覚を楽しめるような配慮もなされているという。
鳥取県岩美町の出身で大正から昭和初期にかけて活躍した女流作家 尾崎 翠の詩「新秋名果」が展示されている。『母ありて ざるにひとやま はだ青き ありのみのむれ われにむけよと すすめたまう 「二十世紀」 ふるさとの秋 ゆたかなり』故郷の大地と母親の温かみが伝わってくる詩である。梨は「無し」に通ずるためか「なしのみ」を「ありのみ」と縁起をかついだ表現がされている。 鳥取二十世紀ナシは日持ちの良さ、みずみずしいさっぱりした食味感の良さで、日本の最も代表的な輸出農産物のひとつである。1935年にスタートして70年の歴史を誇る輸出は、日本全体のナシ輸出の9割を占め、そのまた9割をJA全農鳥取が扱っている。
二十世紀ナシの輸出振興対策は「産地・輸出会社・輸入会社」の三者連携が不可欠である。
輸出には冷蔵コンテナで出荷しているが、着荷後の温度管理などの品質保持には輸出先の「輸入会社の育成」は欠かせない条件となっている。輸出先によっては「植物検疫」も避けて通れない問題である。米国やオーストラリアには日本との二国間の植物検疫協定があり、輸出する際には両国から検疫官が産地に来て、選果場での輸出検査が必要となり大きな障壁となっている。輸出までの仕組み作りも農林水産省等の指導のもとで輸入国との交渉をしなければならない。海外市場を拡大するには「宣伝費などの確保」も必要である。この宣伝費用対策として鳥取県では87年に「社団法人鳥取県果実生産出荷安定基金協会を設立し、中央果実基金協会事業等を開始した。91年には海外の宣伝活動を強化するために、キロあたり1円を宣伝分担金として生産者が負担するようになった。
輸出における品質保持には氷温保存などの「保存技術の確立」が必要で、JA全農鳥取では1.200トン分のナシ貯蔵冷蔵庫を整備した。鳥取大学の支援協力により6ヶ月間の「鮮度保持包装技術」も確立し、官・民・大が連携した輸出体制を作り上げた。
二十世紀ナシの輸出の役割としては、輸出は前述のように「国内需給調整」的要素が強い。
中華圏への輸出でも氷温保存の倉庫に入れて出荷時期を調整し、旧正月前の1月に出荷することで国内の大きな市況調整となっている。
輸出戦略としては「二十世紀ナシのブランド化」である。以前の輸出は小玉で価格も安かったが、一昨年あたりから大玉高級品に転換し、同時に輸出国の選択を実施している。
ヨーロッパ、フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールなどへの輸出は既に撤退した。最近は東アジアへ集中させており、とくに中国向け輸出は大衆消費者ではなく「贈答用と高所得者」をターゲットとしている。「味も美味しく、見栄えも良く、玉が大きい」高級品は、所得水準が高くなってきた中国市場では大人気である。
新たな試みとしてJA全農鳥取が取り組んでいるのは、県庁やJETRO鳥取事務所と連携した観光客の誘致である。鳥取二十世紀梨記念館など受け入れ施設も整備されてきた。中国圏の観光客に鳥取の認知度を向上させ、輸出ナシの最終消費につなぐ試みである。
鳥取県の二十世紀ナシによる二十一世紀へ向けた取り組みは、地域振興をめざす道府県地域へのプレゼンテーションともなっている。
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