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90年代後半から2000年代始めにかけて、国内企業は危機管理に追われていた。規模の大小には関係なく多くの企業が、バブル崩壊の最終処理とデフレ対策にもがき苦しんでいた。見事復活を成し遂げた企業もあれば、甦ることが許されず次々と姿を消していった伝統ある企業も多い。産業再生機構の支援を受けて一命を取り留めた企業もあった。経営陣が親方日の丸的発想で経営能力に疑問符がついた、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一証券、北海道拓殖銀行なども消えていった。一方では経営モラルに問題があり、不祥事を取材する報道陣に「私も夕べは寝ていないンダ」と開き直って独自再建が不可能になってしまった会社、社長自らリコール隠しと云われても仕方のなかった大手自動車メーカー、輸入牛肉の廃棄に関する補助金の不正受給をしたハムメーカー、鳥インフルエンザの事態を認識しながら対策を打たなかった養鶏場の経営者など、数え挙げればきりがないほど存続の危機に直面した企業があった。
こうしたなかでニッサンにも緊急事態が迫っていた。それまでの経営トップは財界活動に汗を流し、官僚制が跋扈し、無責任体制がはびこっていた。「トヨタを見て車作りをしている」と言われ、「技術のニッサン」などと技術陣のマスターベーションで、消費者の顔を見ずに車つくりをしていた。マネジメントが機能せずに、倒産の瀬戸際にあったニッサンに仏ルノーからカルロス・ゴーンが乗り込んできた。企業存続の危機に直面した企業が作る再建案や改革案には、ペーパーに書いてある内容は立派だが魂が入っていなく、期日と責任の所在が曖昧になっている場合が多いという。カルロス・ゴーンが掲げたリバイバル・プランはニッサンがルノーと業務提携する直前に、再建計画として作成したものと基本的には同じであったと云われている。ゴーンはこの再建計画に沿って組織改正を行い、部門責任を明確にすることによって社員の意識改革を促した。そしてこのプランが達成出来ない場合は、自ら辞任する意志を表明した。すなわち計画未達の場合は、部門責任者の首がゴーンより先に飛ぶと云うことである。これによってニッサンの再建計画に魂が打ち込まれ、計画を上回るスピードで見事に復活した。ゴーンは社内で「その企業が本当にブランド力を確立しているならば、業績が短期間に急激に低下する事など無いはずである」と語っている。「経営は人なり」を見せてくれた。
中小企業においては些細なアクシデントの発生が会社の存続に直結しており、いつも経営の存続と危機が隣り合わせになっている。バブル景気以前は、さほどの経営能力など無くとも何となく経営が成り立っていた。モノ不足の時代は商店が店を開けて商品を並べているだけでお客が来た。町工場も工場を立ち上げただけで仕事は降ってきた。しかし、バブル崩壊後の二極化する社会では町の商店や工場と云えども、看板を掲げて商いをしている以上は経営能力を求められる時代になってしまった。経営危機など無縁に見える超優良企業であっても例外ではない。トヨタ、セブン・イレブン、花王、キャノンなどが教える企業の危機管理とは、日常の経営そのものが危機意識の延長にあり、経営に緊張感が途切れる事がないように常に問題提起がなされている。そして460年の歴史を誇る和菓子の老舗 虎屋の教えである。虎屋は1600年頃の当主黒川円仲が中興の祖と云われており、現在の黒川光博社長はそれから数えて17代目にあたる。黒川社長は暖簾を維持する事を次のように語っている。お客様に「今日は本当にいい買い物をした」と思って頂くためには、「商品の品質だけでなく、接客サービス、包装、お店の空間など、虎屋を取り巻く全てのモノが、お客様に満足して頂ける良いモノでなければならない」「伝統とは革新の連続である」という信念で日々努力を重ねているという。
ホンダは藤澤武夫が天才技術者の本田宗一郎を陰で支え続け、幾度も倒産の危機を乗り越えた。夕張メロンは農家が自らの死活と地域の存亡を20年の歳月をかけて育て上げ、産地直送ビジネスを切り開いた。ヴァン・ジャケットは500億円の負債を抱えて倒産したが、天才デザイナー石津謙介亡き後もブランドは生き続けている。カップヌードルは安藤百福が会社と自らの命運を賭けて開発し、販売累計200億食の日清食品を支える大ヒット商品となった。今や世界を快走するトヨタも、昭和25年には経営危機に陥った。ブランドと言われる多くの企業は、いく度かの経営危機を乗り越えて今日を迎えている。これらの企業に共通しているのは、企業としての存在目的が明確にされており、理想の精神が示され、価値観は企業内の下部末端まで共有し、行動規範も定められている。これをカルロス・ゴーンは「ブランドとは、かくあらねばならぬ という強い信念を持っているか」という言葉で表現した。ブランドと言われる多くの企業から、困難を乗り越えてきたプロセス、それによって得られた企業哲学、そして時代の変化に対応してきた術を学ぶ事が、危機管理の近道ではないだろうか。
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