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政府は肉質が柔らかく美味しいことで定評のある黒毛和種などの、日本固有の和牛を知的財産として保護するための検討を始めた。最近はオーストラリアなどから、和牛との交雑子牛の輸入が増加している。輸入交雑子牛は05年で2万5千頭に達しており、この大半が交雑子牛とみられている。輸入子牛は安価で国内飼育農家に買い取られ、成牛になったあとに出荷される。このような流通経路になると、国内飼育農家の経営を圧迫するほか、純粋な和牛生産の衰退に繋がっていくことになる。現在では交雑子牛の輸入を制限する国内法令や国際的な取り決めがないため、政府は知的財産基本法による規制を考えたいとしている。和牛は日本独特の飼育改良などでつくられている品種なので、知的財産として位置づける事が可能だとしている。具体的には純粋な和牛と別な種との交雑牛の区別を厳格にすることと、交雑牛の輸入を規制するなどの処置を取りたいとしている。政府はこれにより国内和牛のブランド維持と生産農家の生き残りを支援する。
美味しい和牛の有名ブランド種は大分県豊後高田の豊後牛、三重県の松坂牛、山形県の米沢牛、宮城県の仙台牛、それに岩手県の前沢牛などがある。小型で成熟の遅かった在来和牛を改良してつくられたのが黒毛和種の原点である。明治末期にシンメンタール、ブラウンスイス、デボン、ショートホーンが交雑され、主に中国地方で飼育されていた。島根や但馬で飼育されていた黒毛和種は、肉質が柔らかくサシ(脂身の霜降り具合)の入りが理想的といわれ、現在の有名ブランド牛は例外なく但馬の血を引いていると云われる。消費者の多くが絶賛する前沢牛も但馬の系統で、肉質の良さ、鮮やかで程良いサシ、とろけるような舌触りの三拍子が揃った最高の風味をもっているという。
1865年のアメリカでは南部連合の首都リッチモンドが北軍の攻撃により陥落した。1866年にはドイツ統一国家を目指すビスマルクのプロイセンが、ルートヴッヒ二世のバイエルンを破った。バイエルンはプロイセンとの同盟ではなく、落日の道をたどるオーストリアとの同盟を選んでいた。1868年の日本では薩長連合が強大な中央集権国家を作り上げていく過程で、滅び行く徳川幕府と手を結んだ奥羽越列藩同盟を打ち破っていく。1860年代は世界史における転換期であった。それまでは世界の表舞台に殆ど出てくることがなかった日本・ドイツ・イタリアとアメリカは、この頃を境にして急進的な国家統一運動が起き、強大な国家を作り上げて表舞台に出てくるようになった。このような時代背景の中で弱小国家の連合体であったイタリアを舞台に、シチリア島名門貴族の公爵が書いたと言われる原作の「山猫」を1963年に米伊合作で映画化された。『1860年、祖国統一と腐敗した貴族支配からの開放を叫んで、ガリバルディ将軍がシチリア島に上陸してきた。シチリアを数十代にもわたって統治してきた山猫の紋章をもつサリーナ公爵家にも波は押し寄せ、貴族社会の終わりを告げる日が迫っていた。不安定な治安の中、サリーナ公爵家のドン・ファブリッチオ(バート・ランカスター)は例年通り避暑のため一家を率いて別荘へ向かった。戦争で片目を負傷して休暇がでた甥のタンクレディ(アラン・ドロン)も合流した。晩餐会でタンクレディは新興ブルジョワジーのドン・カロジェッロの娘アンジェリカ(クラウディア・カルレナーデ)の美貌に心を奪われる。数日後、シチリアがブルボン王朝から統一イタリア王国に加わるか否かの投票が行われ、シチリアは新政権に属することとなった。部隊に戻ったタンクレディからドン・ファブリッチオにアンジェリカと結婚を望む手紙が届けられた。かつては貴族と平民が結婚するなど考えられなかったことで、ドン・ファブリッチオの心が乱れた。しかし、ドン・ファブリッチオは平民が台頭して旧世代である貴族が取り残される危惧を抱いた。時代の流れとともに生きて行かなければ、貴族は生き残って行けないことを感じていた。そして二人の結婚話が進むうちにアンジェリカの持参金が想像をはるかに超える額に驚き、新興ブルジョワジーの力に後ずさりする思いであった。そんな頃、国王からドン・ファブリッチオを、上院議員に推薦する旨の親書が届いた。ドン・ファブリッチオはサリーナ公爵家としての、ブランドを下ろす決意をする。「私達は山猫や獅子だった。これからは金狼の羊が後世を担うべきだ」としてドン・カロジェッロを上院議員にするよう推薦した。数日後にクレディとアンジェリカの婚約が発表され大舞踏会が催された。美しいだけの田舎娘だったアンジェリカが、気品漂うレディとして社交界にデビューした。着飾った貴婦人や令嬢達の盛況ぶりに疲労を感じたドン・ファブリッチオは、人気のない書斎で休息をとりながら貴族社会の終焉を悟るのだった。そこへ幸せの絶頂にあるタンクレディとアンジェリカがやってきた。野心家のクレディは選挙に立候補する事を告げ、アンジェリカはマズルカを踊ることを望んだが、ドン・ファブリッチオはワルツならと応じた。そして、招待客から新政権を支持する理由を、尋ねられたドン・ファブリッチオは答えた “we must change to remain the same”』
ラストのクライマックスに繰り広げられたこの流麗なダンスこそが、貴族社会がドン・ファブリッチオの代で終わりを告げ、新しい時代の幕開けとなることを象徴していた。音楽担当のニーノ・ロータは、この作品の準備中に偶然にも、ヴィバルディの未発表であったワルツが発見され、それをアレンジして使用した。バート・ランカスターは「魅せられた男」で、アカデミー主演男優賞に輝き、「空中ブランコ」「終身犯」等で絶賛を浴びた演技派である。アラン・ドロンは同じくニーノ・ロータが、テーマ音楽を担当した「太陽がいっぱい」などで、野心家の青年を演じて好評であった。この映画ではクラウディア・カルレナーデが、コルセットがきつくて度々失神していたという逸話もある。ジョージ・チャキリスと共演した「ブーベの恋人」ピーター・セラーズやデビット・ニーブンと共演した「ピンクの豹」は多くのファンを楽しませた。
日本では過去に2度大きな市町村合併が行われた。「明治の大合併」といわれた明治21年から22年の市町村制への移行により、7万1300の町村が1万5860になった。「昭和の大合併」は昭和28年から31年の3年間で、1万500の市町村が3970になった。そして今回の「平成の大合併」では、合併特例法施行前の平成11年3月末日に3232あった市町村が、平成18年4月1日現在で1820にまで減少した。今回の合併理由としてはバブル崩壊後の、不況が続いた事による国の税収不足で、政府からの地方交付金が大幅に削減されており、地方自治体自身も税収落ち込みが大きく、財政的理由から地方自治体の、住民サービスに支障が出るようになった。つまり、地方自治体も行政の効率を良くしないと生き残れない時代となった。2月20日には岩手県で奥州市が誕生した。水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村の2市2町1村が合併した。このあたりは前沢牛の生産地で有名な地域である。そして水沢市はこのたび民主党の代表となった小沢一郎氏の地元でもある。現在、小沢氏が代表となって、初めての国政レベルの選挙が行われている。千葉7区の自民党前議員陣営の選挙違反による議員辞職で、23日に投票される衆議院議員補欠選挙の戦いである。小沢氏は自民党の田中派そして竹下派で実力を蓄え、47歳で自民党の幹事長に就任するなど権力の中枢にいた。その後は自民党を離党して細川政権を誕生させる立役者となった。細川政権崩壊後は、自らの政治信念に固執するあまり剛腕、壊し屋などと称され、新党を立ち上げては解党するなど、党員達との離合集散を繰り返してきた。今回は新進党解党以来8年ぶりに野党第一党の党首に就任した。これまでは古巣の自民党との対決と協調の狭間で揺れていた時期もあったようだが、今回は政権交代のみに焦点を合わせている。民主党は来年の参議院議員選挙と次の衆議院議員選挙に勝利して政権を獲れなければ、求心力を失い崩壊すると云われている。小沢氏も昭和17年5月24日生まれでまもなく64才である。総理大臣を目指すにはラストチャンスとなるであろう。民主党も小沢氏自身も生き残りを賭けた最後の戦いを繰り広げている。小沢氏は民主党代表選前の演説で自らに語った“変わらずに生き残るためには、変わらなければならない”
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