ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 228

☆ 紳士の帽子 ☆

2008.11.19号  

 ジュゼッペ・ボルサリーノは1834年にイタリア北部のアレッサンドリア近郊で生まれた。
パリで修行した後、アレッサンドリアに戻り23歳で創業し、自らの名を冠した帽子メーカーを立ち上げる。現在もアレッサンドリアに本社を置き、創業150年の歴史と伝統を持ち、優れた品質とデザインは世界中から高い支持を得ている。ジュゼッペは1870年代になると、イギリスで発展した産業革命の長所に気づき、新型の機械を導入して生産性を高める工夫をした。その後はジェノバにも工場を建設してシルクハットの製造を始める。1880年にはベローナで輸出用帽子の製造に取り掛かり、1890年には年間75万個の帽子を製造。
1900年にパリ・グランプリを受賞し、ボルサリーノ製品の素晴らしさが公式に認知される。
この年、創設者のジュゼッペ・ボルサリーノが死去するが、息子のテレジオ・ボルサリーノが後を継ぎ、1910年にブリュッセル・グランプリ、翌年にはトリノ・グランプリ、その後もパリ・コロニアル展で賞を獲得するなど、デザインと品質の良さが高い評価を受ける。
テレジオは父親の成功を更に発展させ、年間200万個の帽子を製造し、海外にも進出するようになった。その名は世界中で知られるようになり、ロイヤルフアミリーも顧客に加えるようになって、ボルサリーノの名は帽子の代名詞のようになっていった。
1944年、戦争により閉鎖されていた工場は、戦後すぐに再開され、工場は孫のテレジオ・ウェスリに引き継がれた。その後の1992年に、企業家ガッロ・モンティコーネ一族に経営が引き継がれ、世界のマーケットを視野に入れた展開が加速される。
1998年にニューヨークにボルサリーノ・アメリカを設立し、北米やメキシコ、それにカリブ・エリアの販売事業を促進。この年の11月には日本及び極東エリアにおけるボルサリーノ製品の販売、ライセンス商品の製造販売の独占契約をオーロラと締結。
2005年にはミラノ・コレクションにてトータルウェアー・コレクションを発表し、ミラノに旗艦店を開設。翌年には帽子の歴史を誇るに相応しい帽子博物館を開設。2007年にはオーロラ本社内にボルサリーノ・ジャパンを設立した。

 ボルサリーノではソフト帽やパナマ帽が有名だが、チロルハットやハンチング、ベレー帽やサファリ帽なども造っている。バイク専用だがヘルメットも製造しており、日本でもマニアには大人気となっている。イタリア製ならではのシックかつ上品さに加え、スポーティな印象を受けるプロダクト・デザインは、さすがにボルサリーノの名を冠するだけのことはあるクォリテイである。他にもスカーフやネクタイ、手袋なども手掛け、意外なことに自転車まで製造している。
しかし、何と言ってもボルサリーノと云えば、吟味した野ウサギの毛を用いて、熟練した職人の手業で仕上げたフェルトの帽子と、本パナマを使った中折れパナマ帽である。
最近は日本の若い世代でも、パナマ帽を被る人が少しずつだが、増えているようである。カジュアル・スタイルにパナマ帽を、上手にコーディネートするミュージシャンや、芸能人を時々見かける。パナマ帽とスーツを上手に着こなす、サッカーの三浦知良のような人も見かけることがある。このようなコーディネートができる人は、ファッションにおいてもハイセンスな人達なのだろう。映画「カサブランカ」(既号14.イメージ戦略)などに登場したハンフリー・ボガードも、パナマ帽スタイルがとてもよく似合い印象的であった。
昨年、ボルサリーノではハンチングと同じ生地で造られたスーツを、同時にリリースしたが、ボルサリーノにとってのスーツは、帽子を引き立たせる脇役だった。ハンチングは映画やTVドラマに登場する新聞記者が、被るのが定番になっている。このように帽子は、役者の役柄を印象づける小道具として、とても重要なのだ。1970年には帽子が主役かと、思われるような映画が公開された。イタリア北部のアレッサンドリアは、フランスに近いことが縁で企画された。二人の男が暗黒の世界で、青春の野望とロマンに生きる姿を、描いたフランス映画「ボルサリーノ」である。

『1930年代、ギャングとチャールストンが入り乱れるマルセイユ。3ヶ月のケチな刑を終えて出所してきたシフレディ(アラン・ドロン)は、さっそく自分を密告した男のバーを手下と共に襲撃した。次に馴染みの女ローラに逢いに行った。今度はその女のことで、カペラ(ジャン・ポール・ベルモンド)と、派手な殴り合いを始めてしまった。互いにダウンしてしまったが、その時以来二人に奇妙な友情が芽生えた。やがて二人はボッカスというボスに認められたが、何をするにも失敗続きの連続だった。その後、ボッカスの黒幕であるリナルディ弁護士の頼みで、魚市場を支配しているエスカルゲルに手を貸すようになった。その頃、マルセイユを支配していたのは、マレノとポリという二人のボスであった。マレノとリナルディの関係を知ったシフレディは、大胆な野望を実現するチャンスを狙っていた。カペラはポリの情婦ジャネットに惚れていたため、渋々シフレディに加担することにした。そして二人はポリの資金源である食肉倉庫を襲撃したが失敗。一旦、田舎へ引き上げて時期を待つことにした。反撃の日を待つ二人の周りに、無頼の仲間と武器が集まってきた。戦闘が開始され、まずポリを暗殺し、次にリナルディと、二人の周りは次第に血の臭いが立ち込めるようになった。そして残る大ボスのマレノ一味との間で、日ごと殺し合いをするようになった。相手の本拠に乗り込んだ二人は、ついにマレノを倒す。
こうしてマルセイユの闇の世界を、シフレディとカペラが手中に収めるようになった。シフレディは豪勢な邸宅を建て、夜ごとパーティを開き、得意の絶頂にあった。
しかし、カペラは違っていた。カペラはマルセイユを去ろうとしていた。彼は両雄が並び立たない事を知っていた。そして、カペラがガジノから一歩出たとき、何者かの銃弾がカペラの命を狙って・・・・』
「地下室のメロディ」や「シシリアン」などの、ギャング映画で粋に帽子を被って見せたアラン・ドロン(既号81.フランス語のCM効果)が、製作・主演した映画「ボルサリーノ」のあらすじである。もう一人の主演ジャン・ポール・ベルモンドは、シリアスなドラマからアクション、時には三枚目を演ずるなど、多くの映画でファンを楽しませていた。
彼も幅広い演技の中でソフト帽やパナマ帽、ハンチングなどを被っていた。映画「ボルサリーノ」では当然のこととして、ボルサリーノの帽子が、二人の名優のほかにも多くのキャスト達と共に、映画の中でふんだんに登場している。その頃、日米欧で圧倒的人気を持っていた二人の男優が、主演した映画は大ヒットとなった。その映画により、ボルサリーノの名は、帽子ブランドとして世界的に、その知名度を決定づけた。

「最高の材料と、最高の技術で仕上げた優れた品を、最高の状態で売る」これがボルサリーノの経営理念である。昨年、紳士の帽子の代名詞でもあるボルサリーノが、日本法人であるボルサリーノ・ジャパン設立と、創業150年を迎えたのを機に、イタリア本社から首脳陣が来日し、ホテル・ニューオータニで祝賀パーティを開いた。日本と極東エリアにおけるマーケットでの更なる躍進と、ブランド・ポリシーを改めて周知させるためだ。
また、これを記念して3つの限定モデルが発売された。ウサギの毛を使ったフェルト帽「ジュセッペ」、パナマ帽「テレジオ」、それにハンチング「Dorse」である。Dorseの素材はウール100%で、フワッとした肌触りが心地良い。被ったときのシワ感も絶妙で、ハンチングの割にはサイドにかなりボリューム感を持たせており、キャスケット寄りの形となっている。ボルサリーノと云えば真っ先に思い浮かぶのが、フェルトの中折れ帽やパナマ帽であるが、こうしたハンチングを始め、レディースまで豊富なラインナップを揃えている。
ボルサリーノ・ジャパンでは、イタリアで造られたボルサリーノ・ブランド製品の輸入販売。同ブランドの国内メーカーによる、ライセンス製品事業の統括を行っている。ソフト帽は本国製造の製品が主流になっており、野球帽やベレー帽などは国内メーカーのライセンス製品が多くなっている。全国大手百貨店や、有名専門店にて販売されている。


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