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1月20日、バラク・オバマが米国大統領に就任した。第44代目にして初の黒人大統領である。夫人のミシェル・オバマも黒人初のファーストレディーとなった。そして現在、世界で一番注目度の高いファッション・アイコンとなっているのがミシェル夫人なのだ。
彼女が選んでいるブランドは、必ずしもメジャーなブランドばかりではなく、一般市民が買うようなブランドも多く、そのファッション・センスは選挙期間中も大きな話題となっていた。「J.Crew」や「GAP」(既号243.世界一のカジュアルブランド)が運営している「Banana Republic」なども日頃から愛用している。選挙キャンペーンに臨んだ際には、「J.Crew」や「H&M」(既号217.ファスト・ファッションの雄)の服を着ていたことで、その商品が米国中のショップから、瞬く間に消えたという。
2008年9月の第一回民主党・共和党候補者討論会では、タイ生まれのデザイナーであるタクーン・パニクガルのブランド「タクーン」の、フラワープリントのドレスを着用した。
タクーンは彼女のお気に入りブランドの一つで、日本でも有力セレクトショップで販売されている。最近ではミシェル人気も加わって、日本でも人気急上昇のブランドとなった。
オバマが勝利宣言した時に、彼女が着たドレスは「ナルシソ・ロドリゲス」だった。デザイナーのナルシソ・ロドリゲスは米国生まれだが、キューバ系の両親を持ち、黒髪・短髪である。非白人系ということでは、オバマ夫妻の生い立ちにも通じるものがある。その作風はカッティングの見事さで人気を博しており、日本でも東京・青山に「ナルシソ・ロドリゲス青山」を、1998年にオープンさせている。
ミシェル夫人が大統領就任式で履いていた、スモーキーグリーンのパンプスも目を引いた。こちらはジミー・チューのブランド「Jimmy Choo」。チューは中国系の、1954年にマレーシア生まれで、ロンドンに移住してスキルを上げたデザイナーである。アカデミー賞授賞式のレッド・カーペットで女優が履くことでも知られており、日本では東京・銀座や表参道に旗艦店がオープンしている。
また、就任式にチョイスしたドレスは、「イザベル・トレド」だった。ゴールドがかったサニーイエローのドレスとコートが、同じ生地でセットアップされており、ゴージャスな見栄えがしつつも、厳粛な場に相応しい重厚さも漂わせていた。トレドはキューバ出身の女性デザイナーで、芸術家肌のクリエーションが特徴。その作品は博物館で展示されたこともある。ミシェル夫人は選挙戦の最中にも着ており、お気に入りブランドになっている。
日本では残念ながら取り扱っている百貨店や、セレクトショップがなく、ミシェル・ファッションを真似ようとしても、手に入れるのは困難なようである。
大統領就任式に続いて出席した舞踏会では、台湾出身のデザイナーであるジェイソン・ウーが手掛ける新進ブランド「Jason Wu」のドレスを着ていた。現在のニューヨーク・コレクションを、勢いづかせているアジア系デザイナーの一人である。黄色がかった白いシフォンドレスは、裾が床まで届くロングドレスで、長身である彼女のスタイルがとても良く映えていた。セクシーな肩出しワンショルダー・ドレスは、今年の流行デザインと云われ、モードのトレンドに敏感な、彼女のファッション・センスを証明している。また、この舞踏会では大きめの耳飾りもつけており、ビッグ・ジュエリーのトレンドにも、しっかりと乗っていることを示した。彼女は自分のファッションに関して、政治的な意味合いやメッセージを発している訳ではないが、このようなチョイスを見ている限り、非白人系デザイナーの作品という面では、かなりの共通項があるようだ。ただ、衆目が一致していることは、ファッション・センスが抜群に素晴らしいという事実だ。
山形県・寒河江市は宮城県との県境近くにある。出羽山地の雄大な眺望を左手に、JR寒河江駅から徒歩数分の処に、古い石積みの建物がある。元は酒蔵で築100年以上も経つコンクリート造りの建家。創業77年目を迎える佐藤繊維の本社工場である。2005年に4代目社長に就任した佐藤正樹社長が率いる佐藤繊維は、資本金5410万円、売上高約17億円の会社である。この会社が今年1月、山形県のみならず、全世界の注目を浴びた。
米ワシントンで開催されたバラク・オバマ新大統領の就任式。話題を呼んだのは、傍らに寄り添うミシェル夫人のファッションだった。公式行事ではスーツを着用するのが慣例だが、その慣例を破り、彼女が身につけたのはサニーイエローのドレスとコートであった。
就任式後の午餐会でコートを脱ぐと、その下にはフランスの高級ブランド、ニナ・リッチ(既号204.フランスの香り)の、サニーイエローと同系色のニット・カーディガンを着用していた。首回りにはドレスと一体化したようなキラキラと輝くジュエルモチーフがあしらわれ、ジュエリーとウェアーを融合させた最新のモードをしっかりと取り入れていた。(THE HUFFINGTON POST Michelle Obama’s Inauguration Outfits:スライドショー参照 /左から11番目のボタンをクリック)
このニットの素材を開発したのが佐藤繊維である。佐藤繊維のニット素材は世界の有名ブランドが認める最高の品質を誇り、ニナ・リッチの担当者も激賞する。このカーディガンに提供した素材は、「モヘア糸」と呼ばれ、原料は南アフリカに生息するアンゴラヤギから獲れる稀少な天然毛。指に触れる感触は柔らかく、身体を包み込むような優しい着心地感を演出する。モヘアは元来光沢があり、非常に滑りやすいため、糸として縒るにはウールなどのつなぎを混ぜる。そのために仕上がりが太くなり、薄い衣服は作りにくい。佐藤繊維では独自技術により、つなぎを使わずに従来の半分以下の太さに仕上げることに成功。
佐藤繊維の開発力は、紐状にした和紙にウールを巻き付けた糸、複数の色がグラデーション状に染められた糸など、特殊糸は1500種類以上にも上る。現在ではニナ・リッチのほか、シャネル(既号136.試作品番号No5)など世界のラグジュワリー・ブランドから、次々と注文が舞い込んでいる。
佐藤繊維は1932年、現社長の曾祖父が羊毛を原料とした毛紡績を創業。当時は日本に洋服文化が輸入され、ウール需要が爆発的に高まる前夜だった。第二次大戦後は繊維産業が、輸出産業の花形として成長し、佐藤繊維の事業も順調に拡大していった。
1960年代になると繊維産業の主役はウールからニットに代わり、佐藤繊維もニット製造に軸足を移すことになる。アパレルメーカーに代わって、納入先ブランドによる生産(OEM供給)も急増。しかし、70年代になると事業環境が激変する。繊維製品の対米輸出の自主規制を求める日米繊維交渉、71年にはニクソンショックが勃発し、輸出産業は大打撃を受ける。90年代になると円高が進行し、中国や東南アジアで製造された廉価なニット製品が国内市場を席捲するようになる。価格競争は熾烈を極め、OEM供給する顧客からは何度にも渡る値下げ圧力があった。売上高はピーク時の3分の1にまで落ち込み、経営は追い詰められていく。91年には約130名いた従業員を、半数にまで削減せざるを得なくなった。佐藤社長は自らニット製品を、トラックに積んで営業に駆け回った。OEM供給が主体だったため、販売店との直接取引がなかった。販売店に品質の良いことを幾ら説明しても、飛び込み営業では何所も取り合ってはくれなかった。どんなに素材に拘り、安くて良い商品でも、それが買い手に伝わらなければ、何の意味もないことであった。
閉塞感に襲われ、文字通り崖っ淵に立たされた2000年、「どうせ売れないなら、創りたいモノを展示しよう」と、繊維の総合見本市ジャパン・クリエーションに出展。想像以上の盛況となり、展示会を機に取引が飛躍的に増えた。しかし、当時の国内ニット市場は海外製品が9割以上で、日本製は残りの少ないパイを奪い合っていた。「生き残るには海外しかない」と一念発起した佐藤社長は、2001年に海外進出を決める。ニューヨークのアパレル展示会で、得意の特殊糸でデザインされたニット製品を展示し、大きな反響を呼んだ。噂を聞きつけた日本の通販番組が、日本での販売を提案し、逆輸入する話までまとまった。2007年にはイタリアで開催された世界最大規模のニット素材展示会「ピッティ・フィラテイ」に出展。この展示会がニナ・リッチからモヘヤ糸を受注するきっかけとなった。
佐藤繊維に創業以来受け継がれているのは、原材料に対する拘りである。南アフリカのモヘア、ペルーのアルパカ、モンゴルのカシミア、中国のシルク、インドの綿など、世界中から探してきた特別なモノばかりだ。それと、顧客の心地よさを大切にする経営スタンスが、幾多の苦境を乗り越えてきた。日本の中小企業経営者の企業家魂を見る思いがする。
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