ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 273

☆ 安全を売る会社☆

2009.10.07号  

 1965年、テレビではマンガの「オバケのQ太郎」や、大人のバラエティー番組「11PM」の放送が始まった。同じ年、国民にあまり馴染みのない警備保障会社をテーマにした「東京警備指令 ザ・ガードマン」(第48話以降はザ・ガードマン)というドラマがTBSで放送された。市民を犯罪や事件から守るガードマン達の奮闘を描いたドラマだった。
元警視庁刑事で実働部隊を束ねる高倉キャップ(宇津井健)。ドラマのオープニングで事件発生の受話器を取る三原チーフ(清水将夫 初期の作品のみ)。高度な自動車運転テクニックを持ち、歌も上手い清水隊員(藤巻潤)。荒木隊員(川津祐介)。杉井隊員(倉石功)。吉田隊員(稲葉義男)。小森隊員(中条静夫)。それに第2話から見習い隊員からの登場であったが、元警視庁警部で高倉とは盟友の榊隊員(神山繁)の面々。
番組では警察や探偵団のように、難事件を次々と解決する爽快さが、最高視聴率41%を記録し、JNN全国視聴率調査においても、1965年と66年には2年連続1位となった。
ドラマに使われる劇用車は、初期の頃はフォード・タウヌス、後にはオペル・レコルトが使用され、国産車とは違うスマートさが好評だった。特注の現金輸送車も登場し、いすゞの小型トラック・エルフをベースに、装甲仕様のハイルーフバンボディーを架装して、フロント・ウィンドー内側には、下からせり上がる防弾板を装備。まるで007に登場したアストンマーチン(既号144.ジェームス・ボンドの愛車)のようになっていた。このような輸送車は当時の日本では珍しく、ドラマが現実よりも進んでいた例と云える。
このドラマによって、和製英語である「ガードマン」という言葉が定着し、警備会社や警備という職業が広く一般に認知され、イメージ的にも好印象を持たれるようになった。
ドラマ制作に全面的に協力したのが、日本初の警備会社「日本警備保障」(現・セコム)であった。安全をカネで買うという認識が全く無かった日本において、この前年の東京オリンピックで選手村の警備を任された実績が「安全を売る会社」として社会的に認知された。当時、どこの役所や会社でもあった当直・宿直という制度がなくなったのは、同社の功績によるところが大きい。創業社長の飯田亮は当時32歳。ドラマ制作にあたり、テレビ局から提示されたタイトルは「東京用心棒」だった。飯田は「自分達は用心棒ではない」として逆提案したのが「ザ・ガードマン」だったという。そして番組脚本には「乱暴な言葉使いはしない。女がらみにはしない。酒は飲ませない」との条件をつけたと云われている。

 セコムは1962年に飯田亮と戸田寿一により設立された。現在では警備サービス業界で国内首位。資本金663億円、売上高6826億円、総資産1兆2028億円、従業員1万3400人となっており、東証・大証一部上場企業である。業界第2位の総合警備保障の約6倍、第3位のセントラル警備保障の約80倍の規模を誇る。
事業の特徴は創業当初から進めていた業務の機械化である。1966年に電話回線を利用した機械警備システムを開発。その後に開発された機械警備機器も、絶大な効果を発揮した。契約者の住宅や事業所・店舗等に貼付されるステッカーは、オークションでニセモノが販売されるほど効果と知名度があり、同社を象徴する商標の一つになっている。現社名は機械警備の代名詞ともなって広く認知されており、警備システムを導入したり、操作することを「セコムする」との表現すら浸透している。
防犯や火災報知器の分野。ビル設備の監視や制御の分野。銀行ATMコーナーの自動化。セコムホームセキュリティーで馴染みの家庭用警備システムなど多岐の分野に及び、最近開発された個人や携帯品、車やバイク等の安全を確認する「ココセコム」もヒット。
さらに、グループ全体としては本業の警備事業だけでなく、セキュリティーに関わるモノには積極的に拡大する戦略を執っている。自社開発の防犯・防災用品を販売するだけでなく、病院経営や医療システム、ネット社会に対応する情報セキュリティー分野全般のコンサルティングや各種サービス、損害・疾病保険のサービス、健康食品やミネラル水の販売、日本初の民営刑務所(美祢社会復帰促進センター)の経営にも携わっており、まさに現在の事業は“社会の安全と安心のインフラ”に関わる全て領域へ広がっている。

 飯田亮は酒卸問屋を経営する飯田紋次郎の末子の5男として生まれ、現在は自ら創業したセコムの最高顧問に就任している。実家の会社である酒卸問屋・岡永商店は長男・飯田博が継ぎ、現在は会長兼「日本名門酒会」の最高顧問を努めている。次男・飯田保は居酒屋チェーン「天狗」を運営するテンアライドの最高顧問を努める。そして、三男・飯田勧は岡永商店の小売部門として設立されたスーパーマーケット、オーケーの81歳にしてバリバリの現役社長で、それぞれが優れた経営手腕を持つ兄弟として知られている。
オーケーは大田区・仲六郷に本社を置き、首都圏でユニークな経営をするスーパーとして親しまれており、国内流通を牽引してきたイオンが赤字に転落するなど、大手スーパーの業績に急ブレーキが掛かる中、堅調に業績を伸ばしている。
「この商品は明日まで高いです」「今は旬でないので味は落ちます」「天候の影響で品質が普段に比べて悪く、値段も高騰しております。しばらくの間、他の商品で代替されることを、お薦めします」などと、一見売る気が無いような説明書きがある。オーケーでは、この「オネスト(正直)カード」が商品に添えられ、激安を煽るような文字は見あたらない。
敢えてマイナスの情報も顧客に提供し、正直な姿勢が顧客の信頼を生んでいる。
世界最大の小売業である米国・ウォルマートを参考にした経営からスタート。「日本版EDLP」(Everyday Low Price)と呼ばれている。オーケーでは特売日を設定しておらず、常に最安値で販売している。顧客にとっては、昨日買った商品が今日は半額で売られていると言った不公平感が解消されている。特売日廃止はチラシの削減や、自動発注による商品の無駄のない在庫管理、特売日の特需が無いだけに通常の需要データが正確に読み取れるなど、特売廃止にもコストカットの効果がある。仕入先を絞り、リサーチ子会社による競合他社に対抗した価格設定。徹底した万引き対策も行われ、一度店内に入ったら、レジ通路を通らないと店外へ出られないレイアウト。仕入商品の入った段ボール箱も、車や自転車で来た顧客に無償で提供し、廃棄する経費を削減すると共に、顧客サービスに結びつけるなど、様々な工夫と施策が「常時激安価格」を支えている。
2007年9月に放送されたテレビ東京系列の経済ドキュメント番組「日経スペシャル・ガイアの夜明け」では、「激安地元密着スーパー」として取り上げられる。また、同年10月には西友・ウォルマートの経営陣が、視察に訪れている。日経ビジネス誌「2008年版アフターサービス調査」において、スーパー部門の顧客満足度第一位を獲得。今年の8月4日放送のテレビ東京系列の経済番組「日経スペシャル・カンブリア宮殿」では、「特別企画 消費者が熱狂!第一弾 正直経営が客を呼ぶ ファン激増のスーパー」として取り上げられる。ユニーク経営が既存店売上高を、毎年二桁成長する超優良企業に押し上げている。

 日本警備保障は創業以来急速に業容が拡大し、従業員数が1000名を超えた1967年頃から、飯田は充分な社員教育ができないまま、膨張していく会社に不安を持ち、社内の意識改革に取り組んだ。そのためには1000人の従業員と、4年の月日をかけて酒を酌み交わしながら話をしたという。この時の経験から飯田が学んだのが、安全が保障された平和な社会を目指す「セコム社会の実現」の理念であった。その実現のキーワードとなったのがSEcurityとCOMmunicationで、SECOMは2つの語を組み合わせた造語である。会社設立から11年目となった1973年にセコムをブランド名として採用。1983年の創業20周年を機に社名もブランドと同じセコムに変更し、社会に安心と安全を提供する「社会システム産業」を目指す会社として位置づけた。
創業の頃、長嶋茂雄はプロ野球界のスーパースターだった。その長嶋をTVCMに起用したイメージ戦略は大成功を収める。1990年代前半には、監督であった長嶋を再度起用。
CMで長嶋の発する「セコムしてますか?」のフレーズは一躍有名になり、企業イメージ向上には絶大な効果を得た。この頃の広告パネルが、監督を勇退した現在も、東京ドームに掲げられている。2004年に長嶋が脳梗塞で倒れた後は、家庭向け商品が開発されたこともあり、おばさま族に人気のあった韓国俳優ペ・ヨンジュンを2代目CMキャラクターに起用、現在はSMAPの木村拓哉が登場している。


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