|
日暮らしの里・呉竹の根岸の里と云えば、江戸の頃から音無川の清流に沿った塵外の小天地として知られていた。江戸の人々にとっては、粋で風雅な土地柄は憧れの住宅地であった。花に鶯、眼には穏やかな荒川の光景、その流れに鳴く河鹿。武家や商家など恵まれた人達の多くが、この地に別宅を持つのを夢としていた。
1819年(文政2年)に初代・庄五郎が、芋坂と呼ばれる音無川のほとり、武蔵野国谷中本村字居村(現在の東京都荒川区日暮里のあたり)に、王子街道掛茶屋「藤の木茶屋」を開き、街道を往来する人々に団子を供した。この団子がきめ細かく羽二重のようだと賞されて評判を呼んだ。それが二代・庄五郎の代となった慶応の頃に、菓名を「羽二重團子」と命名し、商号も菓名と同じ「羽二重團子」と変更した。こうして創業以来、現在に至るまで七代に亘り、百九十年も江戸の風味と面影を受け継いでいる。
団子や饅頭(既号143.日本の味・饅頭屋繁盛伝)は中国渡来の菓子であった。それが江戸時代(既号174.餡はまごころで包む)になって大いに普及するようになった。とくに元禄年間には名物團子が随所に現れ、流行したこともあったが、現在では都内で名のある團子は殆ど見ることができなくなっている。
羽二重団子は、その光沢と粘りとシコシコとした歯触りが特徴で、よく吟味された粉をつき抜いて、丸めて扁たく串に刺して造られる。昔ながらの生醤油の焼き団子と、渋抜き漉し餡団子の2種類が販売されている。材料の吟味と製法は、家伝に即した苦心を怠らず、造り続けられている。
初代・庄五郎は加賀藩出入りの植木屋だった。自ら造った庭を見て貰いながら、自慢の団子を食して貰ったのが団子屋の始まりだった。現在の本店は純和風に造られており、お店の暖簾や看板、それに建物も歴史と共に格式を感じさせる。当時の武家屋敷の庭を彷彿とさせる庭園は、今も手入れが行き届き、池には錦鯉が優雅に泳いでおり、庭の景色を堪能しながら、床几に腰掛けて団子を食べることができる。
本店の昔ながらの落ち着いた雰囲気も良いが、少し歩いた日暮里駅前にある直営支店は、今時のカフェ風な明るい造りで、とてもオシャレで居心地が良い。看板も本店の「羽二重」と書いてある暖簾に対し、「HABUTAE」と横文字になっている。
主たる顧客には政財界、文壇、芸能界等の各界各層に多く、江戸時代より今に残る東京名物として、一般顧客も品の良い手土産品として購入するファンが多い。
本店の脇には「団子の由来」が掲げられている。そこに羽二重団子のファンであった正岡子規の「芋坂も団子も 月のゆかりかな」の句が書かれており、明治期にはしばしば文学作品に、その名が登場している。
夏目漱石は「我が輩は猫である」の中で「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子食ったことありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます・・・」と書いている。
正岡子規の「道潅山」には、「ここに石橋ありて芋坂團子のみせあり。繁盛いつに変わらず。店の中には十人ばかり腰掛けて喰い居り。店の外には女二人團子出来るを待つ。根岸に琴の鳴らぬ日はありとも、此の店に人の待たぬ時はあらじ。戯れ歌を作る 根岸名物芋坂團子売り切れ申し候の笹の雪」と記している。
泉鏡花も「松の葉」の中で、「團子が貰いたいね、餡のばかり と 根岸の芋坂の團子屋へ・・
その近所に用足しがあった帰りがけ、時分時だったから、笹の雪に入って午飯を澄ますと、腹は出来たり、一合の酒が能く利いて、ふらふらする。・・つらりと店つきの長い廣い平屋が名代の團子屋、但し御酒肴とも油障子に記してある」と著している。
大正期には田山花袋が「東京の近郊」のなかで「昔からきこえた團子屋である。其処ももうあるかないかわからない新しい流行の力に蹴落とされて、もうとうになくなって了っているかと思って行って見ると、不思議にもそれが依然として残っていた」と書いている。
昭和期になってからも久保田万太郎の「うしろかげ」や、船橋聖一の「墨田川物狂ひ」、司馬遼太郎の「坂の上の雲」など、多くの文学作品に登場している。
羽二重団子の本店住所は、江戸から東京府や東京市それに東京都と、行政府が変更になったり、住所区割りが何度も変更されたが、現在も創業の地で営業している。当主は代々庄五郎を名乗り、四代庄五郎・五代庄五郎は、それぞれ東京府と東京市から襲名認可を得ている。六代庄五郎(現・会長)も1970年に、東京家庭裁判所名の変更認可を得た。現・代表取締役社長の澤野修一も、何れ庄五郎を襲名するものと思われる。
営業形態は創業以来、個人の小売業として営業していたが、1971年に有限会社に変更し、澤野修一が社長に就任した1983年に株式会社に組織変更した。
創業180年を記念して「だんご寄席」が、本店二階の広間で開かれている。第一回に出演した林家錦平を始め、海老名香代子の人選による若手落語家30分の出し物と、六代目庄五郎の根岸・谷中界隈昔話のトークを30分。団子一皿を食しながらの楽しい寄席で、定員は60名だが固定ファンが多く、年3回開かれている。
本店には羽二重団子資料館があり、団子を造っていた道具類や文豪達の書など、江戸明治期の歴史的資料を常時展示している。江戸明治期の名店番付「維新の頃より明治のはじめ大江戸趣味風流名物くらべ」も展示されており、羽二重団子も最上段に「芋坂 羽二重だんご」と記されている。これらの江戸の風情を今に伝える資料は、一見の価値あり。
|