二世紀末から三世紀初頭の、古代ギリシャで書かれた恋愛小説「ダフニスとクロエにまつわる牧人風の物語」は、ロンゴス(生没年不詳)の作と伝えられている。このロンゴスの恋愛小説を元にして、モーリス・ラヴェルが全3場からなるバレエ音楽「ダフニスとクロエ」を作曲した。
1909年、ディアギレフが率いるロシア・バレエ団はパリで大きな成功を収めていた。この成功を契機に、ディアギレフは新進気鋭の作曲家達に、バレエ音楽の作曲を依頼した。その中の一人にモーリス・ラヴェルがいた。残されているラヴェルの書簡によれば、この年の6月にはバレエ団の振付師ミシェル・フォーキンと、台本についての打合せをしたことが記されている。
初演はロシア・バレエ団により12年にシャトレ劇場で披露された。その後ラヴェル自身によって、バレエ音楽から一部を抜粋して組曲に作り直され、第一組曲(11年初演)と第二組曲(13年初演)として今日に残ることになる。
アマチュア・オーケストラ等の関係者や、クラッシック・ファンの間では「ダフクロ」という略称で親しまれている。ラヴェルの管弦楽曲の主要レパートリーとして「ボレロ」「スペイン狂詩曲」と共に、世界に多くのファンを持っている。クロエは52年にギャビー・アギヨンとジャック・ルノワール、二人のパリ市民によってスタートした。ギャビー・アギヨンはアレキサンドリア生まれで、もともとはエジプト貴族の血を引いていると云われている。第二次世界大戦中にカイロから逃亡して、パリに移り住むようになった。
ブランド名は古代ギリシャで書かれた恋愛小説をもとにしたバレエ組曲に由来している。
主人公クロエが優雅に踊る情景から、想像を脹らまし、ブランド名に至ったという。
63年に創業者がカール・ラガーフェルド(既号163.3世代で育てた世界ブランド)をクリエイティブ・デザイナーとして招聘する。ラガーフェルドが創作したフローラルの花柄ブリントや、シェイプされたデザインは、クロエの名声を高めることに成功した。
70年にはコロネット商会がライセンス契約を結び、日本国内での展開がスタートした。同時に香水も発表された。74年に発表された香水はベストセラーになるほど好評を得た。
75年にはコロネット商会が、ライセンス・プレタポルテ「クロエ・コレクション」をスタートさせる。
85年にスイスの高級ラグシュワリー・クループであるリッチモントに買収される。リッチモントはカルティエ、ヴァン・クリーフ&アーペル、ボームメルシー、モンブラン、ジャガー・ルクルト、ダンヒルなどを傘下に持ち、LVMHに対抗する有力クループである。
80年代の終わりには国際市場拡大のために、マルティーヌ・シットボンがクリエイティブ・ディレクターに就任し、クロエに彼女らしいユニークさと、ビジョンをもたらした。
92年にはラガーフェルドが復帰して、5年に亘ってクロエを再構築した。ネオクラッシック・ドレスやヒッピー風のレースでクロエは、さらなる展開を始めるようになった。ロンドン芸術大学 セントラル・セントマーチンズ・カレッジ オブ アート&デザインはロンドンにあり、ジョン・ガリアーノ(既号63.ディオールのシルエット)やフィービー・フィロなどの有名デザイナーを多数輩出している伝統校である。ニューヨークのパーソンズ・スクール オブ デザイン、ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミーと並び、ファッション業界では世界三大校と称せられている。
ステラ・マッカートニーは71年9月にロンドンで生まれた。丸い大きな目、とがった顎に肉付きのいい頬、ロングの茶髪で、どことなく父親の面影を残しているキュートな女性である。元ビートルズのポールマッカートニーと愛妻リンダ・マッカートニーの末娘である。ステラはセントマーチンズを卒業した後、クリスチャン・ラクロワのもとで修行し、96年にロンドンでシグニチャ・ブランドをスタートさせた。その翌年に26歳のステラはクロエのクリエイティブ・ディレクターに就任した。
ステラの若くて元気なセンスは、クロエに新しい感性を注ぎ込んだ。クラッシックでロマンチッキなクロエに、ストリート感覚を持ち込み、カラフル且つモダンでキュートなエッセンスが加えられた。テイラード・スーツではイギリスのビスポーク感覚を取り入れ、ステラ独特のキャミソールで女性らしさを表現した。ローライズ・ジーンズにペアとなるブラウスとテイラード・スーツを組み合わせるなど、新しい感覚と試みを巧みに表現した。
しかし、父親譲りの菜食主義者で環境保護に熱心なステラは、一説によると毛皮の使用などで会社と意見が対立し、グッチ・クループに引き抜かれる形でクロエを去った。
02年S/Sよりグッチ・クループの後押しで、バリ・ブレタポルテ・コレクションに参加した。
05年春にはアディダスとのコラボレートで「アディダス・バイ・ステラ・マッカートニー」を発表。秋にはアッシュ&エム(H&M)とコラボレートし「ステラ・マッカートニー・フォー・アッシュ&エム」を発表した。01年4月にクロエでは、4年に渡りステラのパートナーであったフィービー・フィロが、クリエイティブ・ディレクターに就任した。今、最も美しいデザイナーと云われ、モデルのようなスタイルを持つフィービーは、73年にパリで生まれロンドンで育った。セントマーチンズを卒業する前年に、クロエが自社に取り込むためパリに招待した。従来の女性らしいロマンチックさに加え、若くてセクシーな感性をクロエに取り入れ、さらなる再構築をクロエに施した。
フィービーは01年A/Wコレクションからカジュアル・ライン「シー・バイ・クロエ」を開始し、アクセサリーやスイム・ウェアーなどの新しいカテゴリーにも挑戦している。05年
A/Wコレクションの頃には、フィービーが妊娠しており、その後は家族とより多くの時間を過ごしたいとの理由から、デザイン・チームがデザインを代行していた時期もあった。
クロエは昨年10月にパウロ・メリム・アンダーソンをクリエイティブ・ディレクターに迎えた。
スエーデン生まれの34歳で、セントマーチンズと王立芸術アカデミーを卒業している。
クロエが展開するセレブ・カジュアルを象徴する代表的なバッグ「シルベラード」は、パイソン素材の質感や表情が見事に表現されており、世界のエディッターの注目を一手に集めた。04年秋には数週間で6000個を完売したと云われる。大きな南京錠が特徴的な「バディトン」は、ハンドバッグよりも大きく機能的なエデッターズバッグの代表的な商品の一つである。05年には爆発的な人気を集め、デパートなどの発売日には行列ができ「幻のバッグ」とまで云われている。ハンドとショルダーの二種類のハンドルが選択できる「ベティ」も、ヤギ革やエナメル、パイソンなどの素材も豊富で、実用性に優れている点で人気の高い商品である。
日本での展開はコロネット商会が、ライセンス品も含めて手がけていたが、バリ・コレクションでの評価と、国内展開が咬み合っておらず、苦戦を余儀なくされていた。02年に伊藤忠商事が経営再建に乗り出し、現在は伊藤忠の100%子会社として再建されている。
03年から本格的展開となっており、昨年1月に日本初の旗艦店が南青山にオープンした。
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