ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 208

☆ 銀座でブランドグルメ☆

2008.07.02号  


ラグジュワリーブランドは、イメージや夢など“こころの満足”を売るビジネスでもある。顧客が希望する商品を渡して終わりではない。店舗に入ってから出るまで、高級ブランドの異次元の空間で過ごす高揚した気分は、一度足を踏み入れると、癖になりそうな魔力を秘めている。インショップ・レストランやカフェなどを、カップルが待ち合わせの場所に指定すれば、逢う前から店舗の空間やインテリア、味やサービスにも想像を浮き立たせる。食事の前から高級ブランドの印象を、焼き付ける効果は非常に大きいものがある。
そうなると、高級ブランドのレストランやカフェは、通常の飲み食いの場ではない。その空間や味を通して自分のライフスタイルを発信する場であり、銀座のブランドショップで、グルメを楽しむ光景は、文化にまで昇華していく可能性も秘めている。このようなブランドが持つ役割に、気がついたラグジュワリーブランドが、ショップ内にレストランやカフェを、併設する動きが拡がり出している。
こうした時代の流れを創ったのは、高級ファッションブランドのシャネル(既号136.試作品番号No5)だった。04年12月に東京・銀座にオープンした世界最大級の、ブティックを含む10階建て「シャネル銀座ビィルディング」にある、フレンチレストラン「ベージュ東京」が火付け役となった。

ベージュ東京は、シャネルが初めて手掛けたレストランで、現代フランス料理界の巨匠と云われるアラン・デュカスがプロデュースした。デュカスはレストランのガイド本で有名な「ミシュラン」で、最高評価の3つ星店や1つ星店を、相次いで誕生させた手腕を持ち、「つ星シェフ」と呼ばれる最高峰のシェフである。海外で高い評価を受け、世界で活躍する三國清三も、デュカスの実力を絶賛している。
ベージュ東京は都心のレストランでは、通常あり得ない天井の高さで、広い空間を贅沢に提供している。フロアーもシャネルらしく、椅子をはじめ皿やカップなど、至る所にシャネルのシンボルであるツィードが、豪華にあしらわれている。食事の前には、すでにシャネルを丸ごと食べてしまったような、錯覚に陥るように演出。チョコレートにはCANELの頭文字を組み合わせた「ダブル」のロゴまで入れる徹底ぶり。メインのディナーはデュカスの名を聞いただけでも、満足してしまう顧客も多い。
昨年月には銀座の真ん中にあるシャネル銀座ビィルディング最上階から、都内を一望出来るルーフ・テラス「ル・ジャルダン・ドゥ・ツィード」がオープン。ランチタイムからミッドナイトまで営業しており、ティータイムや、ディナー前にアルコールを軽く楽しむには、最適な空間を提供している。ワインはベージュ東京のソムリエが、セレクトしてくれるサービスぶりである。ルーフ・テラスなので、雨天は営業していないが、木・金・土曜と日・祝日の、午前1130分から午後11時までの営業で、予約は受け付けない。顧客へのサービスが徹底出来ないような、無理な営業体制は取らない方針である。同ビル階には美術展や写真展などを行う「CANEL NEXUS HALL」も常設されている。
ブティックでカール・ラガーフェルドがデザインした、可愛くてゴージャスなツィードのスーツを見て歩き、テラスでアペリティフを楽しみ、ベージュ東京で世界最高峰のフレンチシェフのディナーを満喫し、食後は上質な美術展を見ながら余韻に浸る。これをラグジュワリーと云わずに、何と云うのだろう・・。

『現代フランス料理が世界のトップになっているのは、日本料理の影響を受けているからなんです。晩餐会がどうしてフランス料理かと云うと、100年前にパリ・ホテルリッツの料理長だったエスコフィエが、初めてレシピを作った。それまではレシピがなくて、みんな家業的にやっていたのが、そのレシピで同じ日に同じ時間に、世界中で同じ料理を作れるようになった。その後、今から30年位前にポール・ボキューズさんが煉瓦屋さんで、トロワグロさんがソニーのマキシムで、初めて料理長になり日本の懐石料理に出会うことになりました。
それまでのフランス料理は10人盛りとか20人盛りになっていて、栄養価も何も考えていなかった。この二人がフランスに戻り革命を起こしたんです。一人ひとり、一つひとつ、一皿一皿、懐石料理のように盛りつける。春、夏、秋、冬の四季折々には、お皿や盛りつけを変たり旬の食材を使う。今のフランス料理は日本の懐石料理から影響を受けて、世界中のフランス料理のベースになっている。私と同じ世代なんですけれど、現代フランス料理の最高峰と言われているアラン・デュカスも影響を受けている。日本がいかに優れているか、日本そのものが既にブランドであり、日本人そのものが世界のブランドで在ることを認識すべきだと思います』
この話は三國清三が、政府の「魅力ある日本を世界に発信」するとした知的財産戦略本部の部会、「日本ブランド戦略の推進」の会合で、委員でもある三國が大変興味深い発言をしているので議事録より抜粋してみた。
三國清三は54年に北海道・増毛町で生まれ、15才で料理人を志した。札幌グランドホテルや帝国ホテルで修行。帝国ホテルの村上信夫総料理長の推薦を受けて、弱冠20才で駐スイス日本大使館料理長に抜擢される。大使館勤務の傍ら現代フランス料理界で、天才料理人と云われたフレデイ・ジラルデのもとで修行。「トロワグロ・オーベルジュ・リィル」や「アラン・シャペル」などの三ツ星レストランでも修行を重ねる。83年に帰国し「ビストロ・サカナザ」のシェフを経て、85年東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。
その後、ニューヨークの最高級レストラン「ザ・キルテッド・ジラフ」、シドニーの「ホテル・リッツ・カールトン」、フランスの「オテル・ドゥ・クリヨン」など、世界各国でミクニ・フェスティバルを開催する。93年にはロンドンのホテル「ザ・バークレー」でおこなわれたミクニ・フェスティバルでは、エリザベス女王ご来訪の栄誉を賜る。
三國は99年に世界五大陸トッブ・シェフ5人の一人に選ばれる。フランス高級レストランの、料理人を中心とする組合には、日本人として初めて加入を許された。ボルドー・ワインの普及貢献でも勲章を受ける。00年の九州・沖縄サミット福岡蔵相会議では総料理長を務めた。日本フランス料理技術組合の代表を、務める世界屈指のフレンチシェフである。

ベージュ東京の成功を追うようにして、ラグジュワリーブランドが相次いで、東京・銀座にレストランや、カフェを併設したショップをオープンした。
06年10月には銀座にあるフランスの老舗エルメス(既号14.イメージ戦略)の旗艦店「メゾンエルメス」が改装・増床し、エルメスブランドでは世界初のカフェを設けた。
翌11月にはイタリアのグッチ(既号127.ブランド商品の元祖)の旗艦店「グッチ銀座」がオープンし、カフェも併設。グッチではミラノに次いで2番目の店舗内カフェである。
07年12月にイタリアの高級服飾ブランド・アルマーニ(既号131.モードの帝王)の国内法人、ジョルジオ・アルマーニ・ジャパンが、銀座・晴海通りに国内最大の店舗面積を誇る「アルマーニ銀座タワー」をオープン。アルマーニにとって日本で初めてのレストランを併設し、世界でも初めてのエステサロンも開いた。
同年12月にはイタリアのジュエリーブランドであるブルガリ(既号94.愛の証はブルガリ)も、世界最大規模の「ブルガリ銀座タワー」をオープン。同タワーは11階建てで、イタリアンレストランとバーを併設。表参道のショップにもカフェを併設している。
世界のラグジュワリーブランドは東京・銀座(既号103.お気に入りブーツ造ります)で、熾烈な競争を展開している。ブランドの香り高い高級レストランやカフェを併設することは、本業とは異次元の「場」を提供することであり、ブランドイメージを印象付ける効果は高い。
シャネルでは日まで、移動美術展「モバイルアート」を開いている。入場は予約制で、5月末の開幕後には満員となり、現在はキャンセル待ちの状態だという。ブランドがファンを育てるには、ショッピングのみならず、顧客の“こころの満足”にもつながる「楽しみ・憩い・癒し・教養」の場を提供することが、欠かせない戦略となっている。




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