ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 218

☆ ネクタイのセールスマン☆

2008.09.10号  


ラルフ・ローレンはアメリカのデザイナーで、自らの名を冠したファッション・ブランドを持つ。イギリスの伝統的なファッションを、アメリカ流にアレンジしたアメリカン・トラッドや、アイビー・ファッションの代表的ブランドである。ラルフはアメリカの、より豊かで理想的な、ライフスタイルを提案している。それは上流階級のスタイルで、上流階級の出身ではないラルフが、幼い頃に抱いた理想を表現しているようだ。
ラルフ自身は、デザイナーではなく、自分の考えているコンセプトを、デザイナーに提案する人。つまりコンセプターであると称している。一説によるとデザイン画を描くのは、苦手だと云う話も伝わっている。因ってラルフは通常のデザイナーとは異なり、デザインや広告、販売店舗のイメージなど、ブランドを管理するプロデューサー的な役割を担っている。このスタイルは多くのファッション・ブランドにも影響を与え、ラルフ・ローレンで経験を積み、独立するブランドも多い。トム・ブラウン、マイケル・タピア、デリック・ミラなどがおり、トミー・フィルフィガーも大きな影響を受けている。
ラルフは39年にニューヨーク州ブロンクスで、ユダヤ人移民のペンキ職人を父に生まれた。子供の頃から大学生のような格好をしていたらしい。ニューヨーク市立大学バルーク校で、2年間ビジネスを学び中退。この頃からアイビー・ファッションを着用して、老舗の紳士服ブランドであるブルックス・ブラザーズに出入りしていた。62年から64までアメリカ陸軍で兵役に就く。その後、ネクタイのセールスマンをしていて、ブルックスにネクタイを売り込んだことから、ファッション・ビジネスの世界に入るようになった。
67年にノーマン・ヒルトンの財政的支援を受け、ネクタイ店を開業。少しワイドなタイ「POLO」を発表し、大きな反響を呼んだ。そして翌年にはメンズ・ウェアーを手掛ける「ポロ・ラルフ・ローレン社」を設立してコレクションを発表。これを機にファッション・デザイナーの地位を確立したと云われる。後にPOLOブランドをノーマン・ヒルトンから買い取り、自らのブランドとした。
イギリス製フラノやハリスツィードなど、素材を大切にしたテーラード・スーツに、アイビールック的なアメリカン・トラディッショナルのスパイスを、うまく融合させたシルエットが「アメリカン・ブリティシュ・モデル」と称され、以後のデザイナーにも大きな影響を与えるようになった。
70年代の映画「華麗なるギャッビー」では、主演のロバート・レッドフォードの衣裳を手掛ける。「アーニー・ホール」ではダイアン・キートンが着ていた衣裳が「アーニー・ホール・ルック」として大流行を巻き起こす。71年からレディースウエアーにも進出している。

「トラッド=Trad」とはトラディショナル(traditional)の略で、「伝統的な」という意味だが、ファッション用語では、アメリカ東部発祥のファッションを指している。トラディッショナルな服装は、ブルックス・ブラザーズの製品と、アメリカ東部大学生やOB達の服装が、典型的なイメージとされている。トラッド・モデルとは、通称アメトラと呼ばれるアメリカン・トラディショナル・モデルのことで、代表的なモデルに「ブルックス型」がある。18年にブルックス・ブラザーズ社が創業100年目に発表したスーツスタイルである。これに対して通称ブリトラと呼ばれるブリティッシュ・トラディショナル・モデルは、イギリス型のスーツスタイルのことである。スーツ発祥の地ロンドン・ウェストエンドの一角にある通称仕立屋通りで生まれた。このスタイルが確立したのは、アメトラより少し前の10年頃とされている。
70年代になり、ラルフ・ローレンが、アメトラにイギリス調をミックスさせて売り出したのが、アメリカン・ブリティシュ・モデルというスーツスタイルだった。

ブルックス・ブラザーズは1818年に、ヘンリー・サンズブルックスがニューヨークで、HSブルックス商会として創業。1850年にブルックス・ブラザーズと改称した。
歴代のアメリカ大統領が好んで着用しリンカーン大統領が暗殺された時に着ていたのも、ブルックス・ブラザーズのコートだったと云われる。
創業者の孫ジョン・ブルックスが、ポロ選手がプレー中にシャツの襟がヒラヒラしていることから着想して、ボタンダウン・シャツを初めて商品化した。これを元祖ブルックス・ブラザーズでは、ポロカラー・シャツと呼んでいる。代表作としては、ブルックス型と呼ばれる「I型スーツ」を初めて世に送り出した。これはナチュラルショルダーの3釦で、ボックス型のスーツである。
ブルックス・ブラザーズはラルフ・ローレンなどと並んでアメトラの代表的ブランドとしてカテゴライズされているが、ブルックス・ブラザーズ自体はトラッドという表現は用いず「アメリカン・クラシック」と表現している。
ブルックス・ブラザーズはアイビールックの伝説的ブランドとしても知られ、世に送り出したアイビールックはアメリカ東部大学生や、OB達から圧倒的な支持を得て、40年代後半から60年代には世界的に注目を集めたファッションだったこれに着目した石津謙介(既号55.みゆき族復活)が、日本に持ち込みVANを設立した。創刊したばかりの平凡パンチがVANの特集記事を掲載し、センセーショナルな一大ブームを巻き起こした。
昨年のA/Wコレクションでは、ブルックス・ブラザーズにとって歴史上初めて、外部のデザイナーとコラボレーション。新ライン「ブラック フリース」を、トム・ブランがメンズ、レディースともにデザインを担当した。

ポロシャツを世界中に広めた功労者とも云えるラルフ・ローレンの、ブランドを象徴するロゴとなっているPOLOは、上流階級である富裕層が好む伝統的スポーツである。 ラルフ・ローレンは、このPOLOを前面に打ち出したことで、上質なライフスタイルのイメージが浸透していった。多種多様な人種が暮すアメリカで成功したブランドであることから、どんな人達にも受け入れられ、個性の強いヨーロッパのブランドとは一線を画している。ティーンの間では「ラルフ」と称され、ひと頃は若者の街を席巻していた。現在ではセーターの胸にあるマークの柄が多様化したが、基本的には変わることはない。
関連するブランドは「ラルフRLローレン」「ラルフ・ローレン パープル・レーベル」「ポロ・スポーツ」「ポロ・ジーンズ」(ポロ・ジーンズはアメリカ国内のみ07年で終了している)を展開している。67年には一介のネクタイのセールスマンだったラルフは、アメリカ国内ではダナ・キャラン(既号215.ダナ・キャランと日本資本)や、同じブロンクス出身で3歳年下のカルバン・クライン(既号212.アメリカン・トラディショナル)と並んで最も人気の高いブランドに成長し、10億ドルのラルフ王国を築いた。07年にはCFDAから「メンズウェアー・デザイナーズ・オブ・ジ・イアー」を授与されている。
日本での展開は04年に設立した、ラルフ・ローレン・リテール・ジャパンが、06年3月に直営旗艦店「ラルフ・ローレン表参道」をオープン。売り場総面積2500㎡の、地上4階で、3階にはラルフ・ローレン・ジャパンの本社が入居し、4階にはレストランを併設。
売り場には最高級ライン「ラルフ・ローレン パープル・レーベル」を始め、アメリカ本土よりインポートされたグッズや、魅力的なアクセサリーなどもナインナップされている。




<< echirashi.com トップページ     << ビジネスコラムバックナンバー