ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 261

☆ アトリエ開設100年のブーム☆

2009.07.15号  

 20世紀を代表するフランスのデザイナー、ガブリエル・ボヌール・シャネル 通称ココ・シャネル (既号136.試作品番号No5)が、1910年にパリで帽子の専門店「シャネル・モード」のアトリエを開いてから100年。世界中の女性を惹き付けるラグジュワリー・ブランドの生みの親であるココ・シャネルの人生に、改めて注目が集まっている。
ココ・シャネルは服飾界の新技術を、数多く確立させた20世紀モード界の先駆者で、20世紀最高のファッション・デザイナーと云われている。没後40年近くに成ろうとしている現在も、若いデザイナーの卵達から、崇拝されるカリスマ的存在である。
女性を窮屈なコルセットから、解放したシュミーズ・ドレスは、女性のファッションに機能性という概念を、初めて持ち込んだ画期的提案であった。「多くの色を使うほど醜い」との思想から、喪服のみに使われていた黒色を、ファッションの世界に初めて提案。下着の素材とされていたツィードを、初めてスーツなどのフォーマル・ファッションに使用。女性がパンツを着るスタイルの提案も、シャネルが初めてだった。そして、歴史に残る名香「NO.5」も、ファッションと香水を結びつけた初めての提案だった。
ココの数奇な運命と、若かりし頃の情熱的な生き方、ナチス・ドイツ占領下のフランスでドイツ軍将校との愛人関係、それが原因となって連合軍によるフランス解放と同時にスイスへの逃亡生活、70才になってのカムバック、そして「はたらく女」としての生き方。
ラグジュワリー・ブランドとしての根強い人気と、キャリア・ウーマンとして生きる一人の女性としてのココ。華やかな成功の影にある孤独な忍耐と労働の日々。恋愛と仕事の二者択一を自ら決断しなければならない辛さ。成功があるが故に挫折を見せたくない女の意地。これは現代のキャリア・ウーマン達にとって、世界的な名声を得る成功は果てしないにしても、はたらく女として共感する部分が、アトリエ開設100年目にして、ブームに火をつけたようだ。

 7月3日から27日まで新橋演舞場で「ガブリエル・シャネル」が上演されている。数ある伝記を元に斉藤雅文が脚本を書き、宮田慶子が演出している。主演は大地真央で10歳の少女から、晩年の70歳代までを演じている。主演の大地は「シャネルは女の人の憧れのブランド。私が宝塚に入った頃は、40歳になったらシャネルのスーツが似合う女性になりたいと、目標にしていた」と語っている。そして「女は家にいて働かないのが当たり前の時代に、世の中や自分自身を変えたいと思い、それを実行した革命家だった」と評する。
一方、東京・ル テアトル銀座では、ミュージカル「COCO」が上演されている。此方は6日から20日までで、1969年に米国ブロードウェイで上演され、トニー賞を獲得した作品である。主演は鳳欄で偶然にも、宝塚歌劇団出身女優二人の競演となった。鳳はシャネルが晩年の70歳で、復活する前夜から演ずる。第二次世界大戦後に復活を期すシャネルが新天地の米国で成功するストーリー。ブロードウェイから持ち込んだだけに、米国人好みの展開になっている。鳳も「シャネルは孤児院で育ちながら、独力でのし上がって来た人で、生い立ちを知ったときは衝撃を受けました。私も宝塚を辞めてから、世の中は甘くないと感じました。シャネルは甘い女じゃないと思いながら演じています」と語っている。

 シャーリー・マクレーンは1934年4月に、米・バージニア州リッチモンドで生まれた。
父は音楽家、母は舞台女優の恵まれた家庭で育った。夫スチーブ・パーカーとの間に愛娘サチ・パーカーがいる。実在した犯罪者ボニーとクライドの最期を描き、世界中から称賛を浴びた「俺たちに明日はない」を、製作・主演したウォーレン・ベイティは実弟である。東洋の思想文化に傾倒し、親日家としても知られている。娘サチ・パーカーの名前は、当時渡米中の“小森のおばちゃま”で親しまれた映画評論家・小森和子の案で命名した。1983年に刊行され世界的なベストセラーになった「アウト・オン・ア・リム(愛さえもこえて)」を始め、「カミーノ(魂の旅路)」など、精神世界に関する多くの著作がある。シャーリーは16歳でブロードウェイに、ダンサーとしてデビュー。映画は1955年にヒッチコック作品「ハリーの災難」でデビューした。コケティッシュな可愛さが魅力で人気を得るようになる。出演作も数多く、フランク・シナトラ(既号212.アメリカン・トラディショナル)やシャルル・ポワイエと共演した「80日間世界一周」。ジャック・レモンとの競演「アパートの鍵貸します」。デーン・マーチンやサミー・デービスJrなどシナトラ一家と共演した「オーシャンと11人の仲間」。オードリー・ヘップバーン(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)と競演の「噂の二人」など、世界的にヒットした映画に多数出演。そして、シャーリーの最大のヒット作は、プリマ・バレリーナとして成功した女性と、結婚してバレエ界を引退した女性を取り上げた話題作「愛と喝采の日々」だった。2人の対照的な人生を“女の幸福は結婚か”“それとも仕事をもって自立した人生を生きるべきか”を問いかけた作品。この映画では、アカデミー主演女優賞を受賞。ほかにもヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭でも、それぞれ2回の主演女優賞を受賞するなど、多数の受賞歴がある。シャーリーは年齢を重ねる毎に、演技に深みを増しており、現在で云えば可愛いアイドル的存在から、演技派に転換した名女優である。
シャーリーの最新作「Coco Chanel」は、米・仏・伊の合作で、日本では8月に公開される。『1954年、パリ。空白の15年を経て復帰コレクションを準備したココ・シャネルの、オートクチュール店には多くの評論家や、顧客が詰めかけていた。しかし、コレクションは不評に終わり、ココとビジネス・パートナーのマルク・ボウシエは落胆する。ぼんやりとたたずむココは、お針子となりデザイナーとしての地位を築いた日々を回想する・・』

 シャネル映画の第二弾は、9月公開予定のフランス映画「ココ・アヴァン・シャネル」。そして、第三弾は同じくフランス映画で来年公開予定の「シャネル&ストラビンスキー」。この3本の作品とも公開前のため、ストーリーの詳細は未だ公表されていない。
シャネル映画は死後10年目にあたる1981年に、イギリスでクロード・ドレの評伝「ココ・シャネル」を下敷きにして制作されたことがある。シャネルが10歳の頃から、パリのファッションショーで成功するまでを描いた作品だった。
『ガブリエル・シャネル(通称ココ)は15歳で母を亡くした。困った父親に妹ジュリアとともに、田舎の孤児院へ預けられたが、その後父は二人の前に姿を現すことはなかった。寂しい日々が続く中、ジュリアも世を去ってしまった。18歳になったココは、あまり年の違わない叔母のアドリエンヌに引き取られた。優しい叔母はココにお針子の仕事を与え、慎ましいながらも落ち着いた生活が始まった。そんな頃、ココはダンスパーティーで、金持ちのエチエンヌに出会う。勝ち気で情熱的なココに興味を持ったエチエンヌは、彼女を屋敷に住まわせ、馬の世話をさせることにした。しかし、ココを恋人として扱わないエチエンヌに、ココは苛立ちを爆発させる。かつてエチエンヌの愛人だった歌手のエミリエンヌが訪ねてきて、二人は激しく抱き合った。これを見たココは、エチエンヌに自分を抱くように迫った。エチエンヌは強がって大人ぶるココを優しく見つめ、馬小屋での甘美な初体験であった。やがて、彼の友人ボーイ・カペルが屋敷に訪ねてきて、ココに一目惚れしてしまう。1910年、エミリエンヌの勧めで、パリに帽子屋を開く話が進んだ。軍人の妻となっていたアドリエンヌも、アシスタントとして協力することになる。この店は金持ちの女達の間で評判となり、ココの恋人となったボーイも協力する。今は大富豪となっているボーイも、私生児としての辛い過去を背負っており、ココの生い立ちと通じるものを感じていた。1914年、戦争が始まり、ココは保温性のあるジャージを使って、活動的なドレスを創り大当たりする。戦時中にボーイはココに求婚するが、戦争が終わるとボーイは名門の女性と結婚してしまう。激しい怒りと絶望でココは、長い髪を切り落としてしまった。
ボーイを失ったココの生活は派手になっていき、人妻ミシアとの間には、友情以上の感情が生まれ、二人の会話から香水の傑作NO.5が生まれることになる。再びココの前にボーイが現れ、妻と離婚調停中なので、寄りを戻そうと告げる。最初は耳を貸さなかったココも、やがて頷き泣き崩れるのだった。しかし、ボーイが離婚のために妻の処へ行く途中、交通事故で死亡。そしてココは、過去の様々な思い出をかみ締めながら、ココにとっては初めての、ファッションショーの会場に立っていた。』


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