ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 222

☆ メイド イン 銀座☆

2008.10.08号  


世界屈指のファッション街である東京・銀座(既号130.世界最高級の街)。中央通りと並木通りには世界の有名ラグジュワリーブランドが軒を連ねて豪華さを競っている。銀座1丁目から2丁目にかけて、中央通り沿いを歩くとティファニー(既号140.ホリーのお気に入り)、ブルガリ(既号94.愛の証はブルガリ)、カルティエ(既号67.ジュエラーの王様)、シャネル(既号136.試作品番号No5)、ルイ・ヴィトン(既号16.LVMHの5バリュー)等々、右を見ても左を見ても高級ブランドが並んでいる。そんな中に「銀ブラのスタートは一丁目の鞄専門店から」のキャッチコピーで、 130年以上も営業している鞄の製造・販売店「銀座タニザワ」がある。
日本におけるバッグ造りの始まりは明治初頭(年代不詳)に、新政府の御用商人・山城屋和助がフランスから持ち帰ったバッグを見本にして、革職人・森田直七にバッグを造らせたのが最初と云われている。 1877年(明治10年)に名古屋で開催された博覧会に、和助は新しいバッグを出品して、カタカナで「カバン」と書いたプレートを添えて展示した。同じこの年、上野公園で開催された第一回内国勧業博覧会に、和助とは違う人がバッグを出品し、こちらには「提嚢(ていのう)」と表記されていた。
この頃はバッグの事を、どのように表記するか定まっていない時代であった。形状に因っては、銅乱、革盤、手乱、サックなどと称して、一定していなかった。そこで新政府は「革包」と書いて「カバン」と読むことに正式決定した。カバンという言葉の語源には種々あり、スペイン語のkabas(カバス)との説や、荷物を挟む板を意味する中国語の挟板(きゃばん)が転訛したとの説もあり、はっきりしていなかった。しかし、「鞄」の字を最初に考案した人物だけは明確な記録が残っている。

谷澤禎三は 1874年(明治7年)に、日本橋の川上藤兵衛に師事し、人形町に鞄を輸入販売する「谷澤商店」を開いた。やがて禎三は販売だけでなく製造も手掛けるようになり、タニザワの母体を築いた。1877年の第一回内国勧業博覧会に、「提嚢」を出品して賞状を貰ったのは禎三であった。禎三は新政府が定めた「革包」の二文字を、ヘンとツクリに組み替えて「鞄」と一文字にする新字を考案し、その12年後に辞書「言海」に記載されるようになった。その翌年の1890年になって現在地・銀座1丁目に店を構えるようになり、店名を「谷澤鞄店」とした。その折り、明治の三筆として高名な書家・巌谷一六の揮毫による看板を掲げ、店頭を飾った。
明治天皇一行が銀座を通りかかった時に、「鞄」の文字を見て、「何と読むか」とご下問になった周りには誰一人読める者が居らず禎三は侍従職に呼び出され説明したという。新字を造るほど着想に富んだ禎三は、日清戦争で皮革が統制品になると、革の代わりに海外から入ってくる絨毯の見本布で「絨毯鞄」を創案し、これが多くの人達に受け入れられて、時代の流行を作った。

1924年に甲七が二代目の店主となり、50年には「株式会社谷澤鞄店」に改組し、甲七が社長に就任した。現在でも定番商品として人気の高い「ダレスバッグ」と「エアケース」は甲七の考案であった。ダレスバッグは51年に日米講和条約締結準備のために来日し、後に国務長官となったジョン・フォスター・ダレスが持っていたブリーフケースを、参考にして造った。今ほど革のなめし技術が進んでいなかった時代に、口枠式の鞄の商品化に成功し、以後ベストセラー商品となる。当時の日本は悲惨な敗戦と、占領からの解放に沸き立ち、本格的な復興に走り出していた。その世相を見定めた甲七は、このバッグを「シンボル・オブ・ピース」のキャッチフレーズで売り出した。当時で5.000円という価格にもかかわらず、大ヒット商品となり一世を風靡。タニザワのダレスバッグは、現在でも全て手縫いの革製で、頑固な職人のこだわりが、高い品質を生んでいる。
エアケースはいわゆるソフトなスーツケースだが、皇室御用を賜っていたタニザワが、 53年に英国のエリザベス女王の戴冠式に出席する皇太子殿下(現・天皇陛下)に納入した旅行鞄で、皇太子御成婚を記念して59年から売り出された。また、御成婚にあたり旅行用など鞄一式を、宮内庁に納入している。甲七は長年にわたる良質な鞄造りが認められ、57年に産業功労者として表彰を受け、65年には勲五等瑞宝章を受章している。

66年には三代目に鋭一が社長に就任。74には創業100周年を迎え、これを機に「株式会社銀座タニザワ」と、現社名に変更された。93年に四代目に信一が社長就任。翌年には創業120周年を迎え、120Anniversary記念鞄を発売。96年2月には銀座本店を全面新装してオープン。99年には125周年を迎え、期間限定のセミオーダーのダレスバッグを発売した。
現在、販売されているエアケースは、今上天皇陛下御成婚時に納入された旅行用鞄の後継モデルにあたり、軽くて摩擦に強い国産豚革を使用しており、ショルダーベルト付きで 97.650円、ヌメ革を使用した角形の手縫いダレスバッグは、241.500円で販売されている。販売店舗は銀座本店と玉川店(二子玉川・玉川高島屋SC1F)、ホテルオークラ店(ホテルオークラ東京本館 1F)、カレッタ汐留店(カレッタモールB1F)、ホテルニューオータニ店(ホテルニューオータニ ザ・メインアーケード階)、帝国ホテルプラザ店(大阪・帝国ホテルプラザB1F)、それにレディースをメインとした商品構成の銀座・数寄屋橋店(西銀座デパート1F)となっている。
銀座タニザワは創業から 130年以上経た今日も、「広く盛んに誠の品を売る」という家訓のとおり、厳選された最高の素材と最高の職人の手で最高品質の鞄を造り続けている。




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