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1938年、ポール・スチュワートはニューヨークのマジソンアベニュー45番地で、アイビーリーグ出身者を対象とした高級紳士服専門店としてスタートした。ブランド名ともなっているポール・スチュワートという店名は、創立者ラルフ・オストロフの長男ポール・スチュワート・オストロフの名前に由来している。1952年に娘婿のクリフォード・グロッドが共同経営者に加わって以来、イギリスやイタリアを始めとする世界中から、選りすぐった上質の商品を、ストアネームを付けて展開してきた。因って、セレクトショップとも云えるが、独自の視点で世界各国のクリエーターやメーカーにオーダーして、商品展開することで独自のスタイルを築いた。ポール・スチュワートのこだわりの一つがポケットスクエア(ポケットチーフ)である。ウィンドウディスプレイや雑誌に掲載されたスーツを見ると、必ず胸ポケットにはポケットスクエアが飾られている。たかが、四角い布でしかないのだが、そこには洗練された雰囲気が醸し出されているのである。ディスプレイの仕方にもこだわりがあって、基本的には四隅を上にして差し込むクラッシュドスタイルか、若しくはその変形スタイルである。スーツの襟元の穴(ブートニエール)に華を飾る優雅なご時世もあったが、やはり今の時代には、胸元はポケットスクエアが最適なアイテムではないだろうか。素材にはシルクやリネン、コットンなど色々あるが、どうしてもリネンやコットンは白色が基本となってしまう。やはり華やかな演出ができるのは、様々な色合いや柄を楽しめるシルク素材である。とくにプリント柄は織物に比べて柔らかな風合いを出せるため、初めてのユーザーにもコーディネートしやすい。あまり目立たせたくない場合は、スーツと同系色にするのが良く、少し華やかさを演出したい場合には、明るい柄を選びたいものである。何着かのスーツに1枚でカバーできる訳ではないので、洗練された紳士は少なくとも4〜5枚くらいは持っていたいアイテムである。
ポール・スチュワートのスーツには品位というものを感じさせる。素材は勿論のこと、裏地や縫製に対する品質にもこだわる経営ポリシーが貫かれており、それを顧客が無意識に感じ取っているからであろう。然るに、価格は少し高めの設定となるが、一度ファンとなった顧客にとっては、洗練された品位が大きな魅力となり、ヘビーユーザーへと変身させられる。顧客にはフランク・シナトラ(既号212.アメリカン・トラディショナル)、フレッド・アステア(既号191.青春の思い出)などの、ベストドレッサーの名が連なっている。同じニューヨークに店舗を構えるブルックス・ブラザーズ(既号55.みゆき族復活)がアメリカン・トラディショナルの保守的な展開をしてきたのに対し、ポール・スチュワートはブリティッシュの伝統と、ニューヨークの感覚をミックスさせたクラッシック・コンテンポラリーのスタイルを提案してきた。青山店と銀座店がオープンしたとき、それまでの日本のトラッドスタイルに無かったポロシャツやニットなどの、カラーバリエーションの豊富さには驚かされたものだった。適度にウエストを絞ったナチュラルショルダーのスーツに、新鮮なニューヨーカースタイルが、何よりも“都会的に洗練された”着こなしと、コーディネートを日本人に教えた功績は大きなものであった。
1963年、ユニバーサル映画が配給したアメリカ映画「シャレード」が公開された。連続殺人を巡ってのミステリー・コメディ映画で、製作・監督は「パリの恋人」のスタンリー・ドーネン、音楽は「ティファニーで朝食を」でオスカーを獲得したヘンリー・マンシーニ。ハリウッド映画が華やかだった頃に世界中で大ヒットした作品であった。『レジーナはフランスの冬の観光地で、フランスの友人とスキーを楽しんでいた。レジーナはスキー場で、偶然知り合ったピーターに心を強く惹かれていた。しかし、パリのアパートに帰った彼女は、夫が殺害された事を聞き呆然とした。夫の葬儀の時、会葬者の中に見知らぬ男が3人来ていた。ペンソローにギデオンとスコビーであった。レジーナは大使館の情報部長から、戦時中に夫は会葬にきていた男達と共謀して25万ドルを隠匿していたことを聞かされる。4人は戦争が終わったら山分けする事になっていたが、それを夫が裏切って金を持ち逃げするところを殺されたという。そして、夫は政府のお尋ね者になっていたと聞かされた。レジーナはペンソローやギデオンに、25万ドルのことで脅迫されるようになった。スコビーがレジーナの部屋に金を捜しに侵入したとき、レジーナの悲鳴を聞いてピーターは窓伝いに逃げるスコビーを追い、スコビーが飛び込んだ部屋にピーターも飛び込んだ。すると、意外にもピーターは3人の男達に挨拶をしたのだった。ピーターも仲間の一人だったのか。やがて、レジーナはピーターも3人の男達も、互いの駆け引きで誰もが、互いに信じられなくなった。そこで5人は申し合わせて、互いに相手の部屋を捜索することにした。そうこうするうち、ピーターの部屋でスコビーが死体となって発見される。次にエレベーターの中でギデオンが、自分の部屋でベンスローが殺害された。レジーナはピーターか犯人なのかと強く疑ったが、殺人と25万ドルを隠し持っている犯人捜しは、二転三転することになる。最後になってピーターはレジーナに、自分は軍の秘密捜査官で25万ドルを追い求めて泥棒紳士になっていたことを明かす。勿論、ピーターが25万ドルを無事に確保した後の事であった。』レジーナをオードリー・ヘップバーン(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)、ピーターをケリー・グラント(既号219.20世紀最高の高層ビル)が演じ、「大脱走」のジェームス・コバーンや、「脱獄」のジョージ・ケネディが脇を固めた映画であった。そして、映画衣装はもちろんジバンシー(既号157.1億円の映画衣裳)の作品であった。ケリー・グラントは、イングリット・バーグマンと競演した「汚名」、グレース・ケリーと競演した「泥棒成金」、デボラ・カーと競演した「めぐり逢い」など、どんな映画に出演しても洗練されたスーツ姿を見せており、その胸にはポケットスクエアが、印象深く飾られている。ケリー・グラントは、ポール・スチュワートのヘビーユーザーとしても有名な俳優であった。
ポール・スチュワートの日本での展開は、マスターライセンシーであった三井物産が、1978年に子会社としてポール・スチュワート・ジャパンを設立。1981年に東京・青山店と銀座店、1989年にオープンした神戸店の路面3店舗を展開していた。三陽商会ではライセンス契約により、1991年から紳士服及び婦人服で、全国百貨店で約110の売り場を展開していたが、昨年10月から、ポール・スチュワート・ジャパンから路面3店舗を引き継いだ。三陽商会と日本航空は、出張や旅行に適した機能を持つグローバルスーツを共同開発。日本航空はポール・スチュワートの発祥の地であるニューヨークへの定期運行を行っており、顧客が機内で快適に過ごせるような、スーツの開発に協力した。シワになりにくく、シワの回復性に優れ、軽量でパスポートなどの収納に便利で、使い勝手の優れた内ポケットを装備。長時間の移動を伴うビジネスシーンに、最適なスーツとして仕上げられている。日本航空は開発に際し、海外出張に出かける社員を抜擢。社員はグローバルスーツを着用して現地で会議に出席。帰国後も着用したまま過ごし、着用の感想を開発に反映させた。今年の2月20日から3月末まで、三陽商会のポール・スチュワートが展開する全国有名百貨店56店舗において、グローバルスーツのパターンオーダーができるフェアーを開催した。今回はグローバルスーツ5モデルを発売し、そのうちの1モデルは日本航空のコーポレートカラーである赤色の帯電防止加工の裏地を使用し、JALコラボモデルスーツとした。三陽商会では、新たにインポートコレクションを主体としたポール・スチュワートの基幹事業を統合。ポール・スチュワート・ブランドのトータル戦略を推進し、さらなるブランド・ビジネスの拡大を目指している。
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