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PPRはフランスのコングロマリットで、主として流通小売業とファッションブランド事業を世界的に展開している。また、オークションハウスのクリスティーズの主要株主であることでも知られている。流通小売業ではラ・ルドゥートやメトロスタイルなどのカタログ通販事業、世界7ヶ国にショップを持つ本やCD関連の小売事業、家庭用品の小売事業、車や医薬品関係の小売事業などを展開している。ファッションブランド事業はグッチ(既号127.ブランド商品の元祖)、イヴ・サンローラン(既号176.C・ドヌーブをイメージ)、バレンシアガ、ステラ・マッカートニーなどを傘下に持つ。クリスチャン・ディオール(既号63.ディオールのシルエット)、ルイ・ヴィトン(既号16.LVMHの5バリュー)、セリーヌ(既号114.B.C.B.Gの代名詞)、ジバンシー(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)、フェンディ(既号163.3世代で育てた世界ブランド)、ロエベ(既号58.さりげないオシャレ)、ダナ・キャラン(既号215.ダナ・キャランと日本資本)などを傘下に持つコングロマリットLVMHと双璧を成している。これにカルティエ(既号67.ジュエラーの王様)、クロエ(既号164.ブランド名はバレエ組曲から)、ダンヒル(既号186.紳士のおしゃれ)、ランセル、モンブランなどを傘下に持ち、2007年にラルフ・ローレン(既号218.ネクタイのセールスマン)と合弁会社を設立したリシュモンを加えると、世界のラグジュワリーブランドの多くが、この3つのコングロマリットの傘下に入っている。PPRの前身はピノー・プランタン・ルドゥートで、当初は木材業からのスタートであったが、ピノーが創立した流通グループへ発展。ピノーは1990年代からファッション業界に進出し、大手老舗プランタンを買収。90年代後半からは高級ブランド・グッチの買収を手始めに、前述のブランド以外にもアレキサンダー・マックイーン、ボッテガ・ベネタ、セルジオ・ロッシ、ブシェロン、ベダ&カンパニーなどを次々と傘下に収めている。1998年から99年にかけたグッチ買収では、敵対的買収に乗り出したLVMHと買収合戦を繰りひろげ、救済的にグッチを傘下に収めた。1999年にはイヴ・サンローランの親会社であるサノフィ社を、自分の持ち株会社であるアルテミスを通じて買収。イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュと、香水部門を傘下のグッチに売却。サンローラン本人とオートクチュール部門は自社の傘下に止めた。サンローランが傘下になった段階で、それまでのデザイナーでレディース担当のアルベール・エルバス、メンズ担当のエディ・スリマンを更迭。2001S/Sよりグッチと兼任でリヴ・ゴーシュのデザイナーにトム・フォードが就任するというドタバタ劇を演じた。しかし、トム・フォードはブランドコントロールの問題で親会社と対立し、2004年4月に退任。
現在は息子のフランソワ・アンリ・ピノーが会長に就いている。アンリ・ピノーはアシュセ経営大学院を卒業し、1987年に父の会社へ就職。幾つかの子会社の経営でキャリアを積んだあと、2003年にピノー・プランタン・ルドゥートを管理運営する持ち株会社アルテミスの会長に就任。2005年3月にピノー・プランタン・ルドゥート会長に就任。それを機に社名もPPRに変更した。現在のアンリ・ピノーはLVMHグループの、ベルナール・アルノー会長と肩を並べる存在となっており、ファッション業界の帝王とまで云われている。フォーブス誌の調査による2007年の世界長者番付では、ベルナール・アルノーが260億ドルで7位、アンリ・ピノーは145億ドルで29位であった。(1位はマイクロソフトのビル・ゲイツで560億ドル)アンリ・ピノーはゴシップでも話題を集めている。メキシコ出身のハリウッド女優で、アカデミー主演女優賞にノミネートされたこともあるサルマ・ハエックと、06年にイタリアで知り合い07年3月に婚約、9月には女児ヴァレンティナが誕生したが、08年7月に婚約解消。その後、また交際が復活しており、2月14日にパリ6区の区役所で結婚したことが、仏ル・ポワン誌の報道で明らかになった。多くのラグジュワリーブランドを傘下に持つアンリ・ピノーの、結婚パーティーは関係者の高い関心が集り、2009年春に350万ドルの豪華挙式になると伝えられていた。
2008年12月16日、パリ市内にあるオ・プランタン本店で、イスラム過激派とみられる組織による爆弾脅迫事件が発生した。同日朝フランス通信社宛に、アフガニスタン革命戦線と名乗る組織から手紙が届けられ、オ・プランタン本店3ヶ所に爆弾を仕掛けたと記されていた。通報を受けた警察は店内を捜索した結果、3階洗面所に起爆装置のないダイナマイトが5個発見された。店内はクリスマス商戦で混雑していたが負傷者はいなかった。この事件が発生する前の10日に、あるジャーナリストが匿名の電話を受け、近いうちにデパートに爆弾を仕掛けることと、アフガニスタンに展開しているフランス軍の撤退を要求された。フランス通信社宛の文面にも同じ内容の事が書かれており、此方の文面では具体的なデパート名と、フランス軍撤退時期を2009年2月までと時期も指定してあり、できなかった場合は、無警告で爆弾テロを行うと記されていたという。オ・プランタンはパリ9区のオースマン通りにあり、支店はフランス各地にある。東京・銀座にあるプランタン銀座は、オ・プランタンと提携関係にあり子会社ではない。本店の建物はポール・セディーユの設計と、ジュール・ジャリュゾにより1865年に完成した。ガラス工芸のアール・ヌーヴォーの丸い屋根に囲んだ近代建築のデパートに仕上げられている。1975年には建物と丸い屋根の部分が歴史上の記念碑として登録されている。PPRによって運営されていたが、2006年にボルレッティグループに売却された。
PPRは2006年9月にブルゴーニュのドメーヌ・ルネ・アンジェルの畑を買収した。この畑はドメーヌの当主フィリップが、2005年に亡くなって売りに出された。エシェゾー、グランエシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ1級などからなる6ヘクタールの畑を1300万ユーロ(約19億3500万円)で購入。ヴォーヌ・ロマネ村の畑としては過去最高値だった。PPRでは1993年にボルドー1級のシャトー・ラトゥールを傘下に収めている。これらの事業はLVMH(既号203.熟成を待つ一億本)がワイン&スピリッツ部門を持ち、シャンパンのドン・ペリニヨンで有名なモエ・エ・シャンドンと、コニャック市場で圧倒的シェアーを誇るヘネシーを傘下にしていることを意識した戦略である。因みに、昨年末にロンドンのサンデイ・タイムズが、PPRがシャトー・ラトゥールを売却するという観測記事を掲載したが、今年1月にアンリ・ピノーは、この観測を真っ向から否定した。2007年4月にはドイツスポーツ用品大手のプーマ(既号138.ダスラー兄弟)に対し、友好的買収を実施し53億ユーロ(約8480億5300万円)で傘下に収めた。ドイツの持ち株会社メイフェアのヘルツ家が所有するプーマ株27.1%を取得。プーマは世界3位のスポーツ関連用品メーカーであり、売上規模は50億ユーロ(約8000億円)を超える。売上規模198億ユーロ(約3兆1100億円)で、90ヶ国に展開する流通業界最大手PPRの傘下に入ることで、ライバルのアディダスやナイキの事業戦略にも影響を与えると思われる。2008年6月にはルイジ・マカルーゾが率いるスイスの持ち株会社で、ラ・ショー=ド=フォンに本社を置くソーウィンド・グループと長期戦略提携協定に調印。この提携関係でPPRはソーウィンド・グループの株式23%を所有することになった。これにより独立系高級スイスウォッチ製造業のジラール・ペルゴとジャンリシャールは、ラグジュワリーグッズ業界の主要プレーヤーPPRと連携することで、革新と成長の可能性が大きく広がった。PPRにおいてもラグジュワリーグッズ市場の、最も有望な分野であるウォッチ部門で、グッチグループの強力なプレゼンスを構築できるメリットがある。ジラール・ペルゴのルーツは1791年に遡り、その歴史にはデザインと技術を融合させたイノベーションが豊富にみられる。ジャンリシャールは17世紀のヌーシャテル地方のウォッチ製造のパイオニアであるダニエル・ジャンリシャールの名前をとつたブランドである。スイスのウォッチ製造における伝統的な技術と品質をベースに、大胆で革新的な解釈を表現している。このようにPPRの事業戦略は多岐に渡り、止まることを知らない成長路線を走っている。
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